61.夜陰に潜む


大丈夫。
俺は、今は愛してくれる人が居る。
忘れてしまいそうになる事実を思い出すために時々呟く。

友人と飲みに来た。
「ちょっと呼び出された」
だから帰ると言う。
友達と現在飲んでいる事よりも、優先させなければならないこととは何だと言うのだろうと詰め寄ると、
「彼女ができたんだ」
とペアリングを見せびらかしてきた。
「結婚する予定でさ」
ごめんなと照れたように笑っている。
いつの間にそんなことになっていたのか、聞いてすらいない。

「じゃあ仕方ないな」
「さすが、分かってくれるな!」
羨ましいとどこか遠くで聞こえた気がした。
浅ましく疼く心を抑えて、友に手を振る。
送り出してから、胸に溜まった澱をため息に乗せて吐き出した。

追加注文したまま出てきていなかった料理がやっと運ばれてくる。
一人で残りの酒を舐めるように飲みながら、つまみを口に運んだ。

濃い味付けが余計に淋しくなる。
家庭の味とのうたい文句の店であったが、酒のつまみとして出される以上はどうしても味付けが濃くなる。
おふくろの味が分からずに育ちはしたが、外食の味には寂寥を覚える。
急に呼び出したさっきの彼女も、彼と家庭を築いたならば手料理などをふるまうのだろう。
それが日常になる同僚を心から羨ましく思う。

酒で膨れた胃には少々重かったが勿体ないと言う思いに負けて、やけ食いのように押し込んだ。
帰ろうと思った時に突然感じた尿意。
厠に駆け込んだ、その帰り道。
荷物等を置いているので急いでいた筈なのに、なぜかその動作が目に入った。

テーブルに居たのは何度か見かけたことがある里の上忍たち。
半分ぐらいしか知らないのは、彼らがエリートすぎるせいだろう。
女性は一人もおらず、さらにはその中にあのはたけ上忍もいた。
向こう側が透けて見える薬包紙から
さらさらと零れ落ちる粉の音が聞こえてきそうなほど、それに意識が集中する。
その上忍は、新しい爪楊枝を出してグラスの中身をかき混ぜると、
軽く匂いを嗅いで口の端をにたりと上げた。
周りは見て見ぬふりをしているのか、その行為を咎める者は無い。

「あ、ちょっとちょっと」
「はい?」
手招きされた給仕の女性が何の警戒心もなく近寄る。
「これ、飲みなよ。俺からのおごり」
「はぁ。ありがとうございます。でもすみません、業務中ですので」
「大丈夫大丈夫、ジュースみたいなもんだから」
「いえ、そう言う訳には行きませんので」

最悪なところを目にしてしまった。
突っかかっても、喧嘩に持ち込まれたら勝てないだろう。
実力的にも、権力的にも、人数的にも。

いい子で今までいた自分の声がする。
――見捨てていいのか? お前が、それをやっていいのか?
だから素直にその言葉に従う。

迷いなくためらいなく、彼らのいるブースに近寄る。
あと二歩。
そこで上忍が警戒するようなそぶりを見せたが、給仕にグラスを差し出すのをやめない。
好都合とひったくって、その瞬間目を剥いた上忍の前で飲み干す。
一滴残らずと言った勢いで、グラスを呷る。

口をつけた瞬間におかしいと思った。
度数の高いものを飲んだ時のような熱さが舌の上に広がっていく。
ボトルを見たら、飲んだことが無い酒では無かった。
しかし、不思議な甘い香りがある。

体に染み込んでくる。
熱が喉元から広がって内側にこびりつき、決して流れて行ってはくれない。
無視できない熱に視界がにじんだ。
目がくらむ。

後ろに傾けた頭が重い。
正常な位置まで戻すと立ちくらみのように視界が大袈裟に揺れる。
グラスを机に叩きつけると、思ったよりも大きな音がした。
店中の視線が集まる。

にっこり微笑んで、声のトーンを落とした。
「どうなんですか、こんなことして。美味しい酒がまずくなってしまいますよ」
笑った目元に涙は光っていないだろうか。
熱っぽさに自然と涙がにじんでくるのだ。

上忍は酒の酔いとは別のものに顔を上気させる。
「こんなところでみっともないとか、思わないーの?」
声をかけてきたのはあのはたけカカシ。
こちらに加勢したからだろうか、丁度耳の近くに声がかかる。
腰が砕けそうだ。

「っあ…」
状況を理解した給仕が小さく声をあげる。
一歩後ずさったのを見て、行っていいよと手で合図をした。
暫く迷っていたのが目の動きで分かったが、最終的には小さく頭を下げて小走りに去って行った。

そうだ、それでいい。
これで、俺は見てしまったものとしての責任を果たしたはずだ。
「では、失礼します」
「くっ」
何事かを言おうとした上忍がはたけカカシに手で制される。
この間は意味も分からず暴いてきたのに、態度が違いすぎる。
とりあえず急がないとまずいことになりそうではあったので、
はたけ上忍の助けをそのまま借りて店をさっさと出る。

夜風に頬が晒されて、そこから籠った熱が僅かに抜けていく。
なんとか、家まで行けるだろうか。
そう思っていたらじわじわと薬が浸食を始めた。

こんな状態で知り合いに会うことは避けたいと路地を選ぶ。
暗い道を一歩進むごとに気だるさが増して、視界も狭くなっていく。
足取りもおぼつかなくなってきて、人目のない道の壁にぶつかる。
バランスを崩して倒れると、変な倒れ方をしたのか内股が擦れた。
それに鳥肌を立てる。

じわじわと内側から喰われるように、力が入らなくなってくる。
上半身だけ起こして壁に寄り掛かるものの、息が荒くなる。
勢いで薬を飲んでしまった時の変化は、まだまだ序の口でしかなかったのか。
そんなこと、知りたくなかったと絶望を覚える。
頭が重く、悪寒までする。

風邪のように熱に浮かされる。
熱い自らの吐息に耳をくすぐられて、意識が沈められない。
寝てしまえばどうにかなると思ったのに、瞼を閉じてもそこに逃げ込むことができない。
寝られないと意識は冴えてくるのに、ぼんやりとした感覚は残ったままで、不思議な世界にいるみたいだ。

「だーいじょうぶ?」
月明かりに照らされて、逆光で顔は見えない。
人一人の造形にしては不自然に膨れていると思ったら、小脇に物を抱えているようだった。
それをぞんざいに下に落とす。
耳から伝わる重量で人だったのかと気が付いたが、既に立ち上がれるだけの力が手に入らない。

返事をするのも気だるく黙ってしまう。
「俺の事、分かる?」
男が顔を近づけてきた。

白い髪、片方隠された眼、口布で覆われた顔。
それは見たことのある人だった。
「あ」
小さく呟きが漏れる。
はたけ上忍。

「アンタをつけてきた男」
はたけ上忍が後ろの方で伸びている人を指さす。
「危なかったーね、このままだったら喰われてたね」
「くわれる…?」
発音と共に漏れた息が自分で分かるほど熱い。
「そんな状態なんだから決まってんでしょ。
 女じゃなくて、アンタを代わりにしようとしたんだーよ?
 犯されてたって言ってるの」

あの奴は、そこまでの屑だったとは。
人だったら誰でもいいのか。
上忍のくせに、いや、上忍だからこそ里のエリートだからこそ破綻しているのか。

「でさ、アンタ、俺に抱かれる気ある?」
「…は?」
どういう意味か分からなかった。
耳から入ってきた言葉を理解できていなかった。

「愛してあげるよ」
必要以上に耳に顔を近づけて。
口を開くそんな僅かな音が聞こえる。
「今夜だけ。どう? 魅力的じゃない」
目頭が熱くなる。滲む。はたけ上忍の姿が月明かりにぼやける。

「だって愛されたいでしょ、アンタ」
力なく置かれていた俺の手に、はたけ上忍が手を重ねる。
指と指の間の柔らかいところをわずかになぞられただけで、疼く。

愛してるよ、イルカ先生。

鼓膜に直接囁きかけられて、耳たぶに唇が触れた。

「イヤだったら抵抗してよ。しなかったら連れて行くだけだから」
次の瞬間体が浮く。
冷たくふれあっていた地面の感触から離されて、
はたけ上忍の腕から伝わる熱と共に内側に渦巻くものの逃げ道を塞がれる。

抵抗なんて、できる訳が無いのは。
薬で自由の利かない体のせいだと言い訳をした。

『海底神殿』前←・・→後『夜陰に潜むの続き』R18
目次へ戻る

03/02
トゥービーコンティニューです。
次はいつ登場できるか分かりませんが、まだまだ続きます。
07/21 内容一部修正しました。この後のものと内容に矛盾が生じてしまっていました。
混乱させたかもしれませんが、こちらが正しいものしてお読みいただければ幸いです。
inserted by FC2 system