天使は身を投げて死んだ(66.空に浮かぶ島)


死者に会える最後の場所。
そう言われているところがこの世には存在する。

死者の魂は肉体から遊離して、一度天の国を目指す。
その道の途中にあるこの島は、だから死者と会える場所と言われている。

人間は容易には入ってこられない。
明確な道はないのだ。
しかし、思いが強かったものは稀にたどり着く。
だから愛しい人を失ったものは、
そのわずかな可能性に賭けてこの浮島を目指す。

浮島で、少年は一人静かに泣いていた。


――◆――◆――


ある所に少年がいた。
少年は名をアルバと言った。

アルバが住んでいるのは、名前のついていない小さな島。
勿論地図になど載っていない。
そしてそこにはアルバ以外は誰も住んでいなかった。
あまりにも小さい為に動物もその数が少なく、いたって平和に過ごしていた。
ある日のこと、アルバは青年を見つけた。

倒れている青年にすぐに駆け寄ってアルバは言った。
「大丈夫っ!?」
閉じた瞼は開かない。

青年は全身ずぶ濡れだった。
真っ黒な髪から滴った水が地面を濡らしている。
そしてたいそう苦しそうな顔をしていた。

アルバはその場にしゃがんで、青年の頭を自分の膝の上に載せた。
そうすると幾分か青年の表情が和らいだように見えた。
青年の濡れている髪のせいでズボンが濡れてしまっても、
気にしないでアルバはずっとそこでそうしていた。

しばらくして、青年の目が開かれた。
熱いまでの太陽の光に目を細めながら、
まっすぐにその目はアルバを見ていた。
「死にたい」
青年は確かにそう言った。

アルバはそれに対して何も言えなかった。
なんで、そんなこと言うのと聞きたかったのに、言葉は出てこなかった。
青年は、感情の無いような目をしてはらはらと涙を流していた。
本人にも分っていなかったのか、声も出さず、ただ静かに泣いていた。

夕方になった。
泣き続けていた青年の涙も枯れ果てたのか、
ただぼんやりと二人でそこにいるだけだった。
「僕の家にこない?」
アルバは青年にそう声をかけて手を差し出した。
青年は、そのアルバの手を静かに取った。
そして、この少年アルバと青年の暮らしが始まった。

「ベタベタだろうから、とりあえず服も洗濯するね」
アルバは青年の服を剥ぎ、お風呂場に押し込んだ。
お風呂場と言っても、
小屋につけられた水の入ったバケツが大量に並べてある部屋だが。

アルバの用意した服では青年には少し小さいようだった。
「ごめんね、これしかなくて。えーっと……」
名前をまだ聞いていないことに気が付いたアルバが問う前に、青年は言った。
「シオン」
「じゃあよろしくね、シオン!」
何の抵抗もなく受け入れたアルバにシオンは驚いた。

なぜこんな島にシオンがいるのか。
アルバは一言も聞かなかった。
海水で濡れた服で、死にたいと言ったシオンに聞く事は無いと思ったからだ。

動揺を隠せないシオンにその理由が分からずにアルバは訊ねた。
「どうかした?」
「いや……。名前は?」
「え、あ、僕? 僕はアルバ」
「アルバ」
シオンは小さく復唱した。
それは言葉としてぴったりと当てはまった。

会話はすぐに途切れてしまう。
そんなたどたどしいものでも、アルバにとっては嬉しいものだった。
久々に人と話せて楽しいと思った。

少しでも会話がしたいと思ったアルバは、シオンに質問した。
「ねえ、ところでこれって何?」
アルバが持ってきたのはシオンが先ほどまで着ていたた服だった。
そしてその指は、前を留めるためにつけられているファスナーを指さしていた。
てっきり、先ほどされなかった質問が来るものとばかり思っていたシオンは、
拍子抜けして肩の力を抜きながら言った。
「ファスナー、ですよ」
思わぬ好感触にアルバの頬が緩む。
「どうやって使うの?」
「…え、と、こう、やって」
シオンがやってみせるとアルバは素直に感心の声をあげた。

新しいことを知ること、丁寧に教えてくれることが嬉しかった。
それは、アルバにとって、あたたかいような不思議な感覚だった。
「どうか、しましたか?」
「ううん、なんでもない」
満面の笑みでアルバは言った。
「ありがとう!」
シオンは困惑したような表情を浮かべるばかりだった。

幸いなのか、アルバは世間知らずだった。
外から来たシオンに対する質問は限りなかった。
会話をする際の手段として、アルバは毎日たくさんの質問をシオンにした。

何で空は青いの。
この木は何て名前なの。
その持っているものはどうやって使うの。
空に浮かんでいる、あの雲は何でできているの。

どんなに下らない質問でも、シオンは真摯に答えた。
そこには、拾ってもらったという恩に対して、
報いなければならないという義務も含まれていただろうが、
その応答の中で時々シオンが余計な力の抜けた様子になっていることがあって、
アルバはそれをいいことと思っていた。

「そんなに、気になりますか?」
いつもの質問攻めの途中でシオンふとそう言った。
「だって、聞いたらちゃんと教えてくれるから。だから、全部知りたい」
それは質問の答えになっていませんと、シオンは言わなかった。
「本当はね、人と話せることが楽しいんだ。前まで、そんなこと全然なかったから」
アルバはそう言って笑った。
だから、シオンもつられて笑った。
島に来て、初めてシオンが笑顔を見せて、アルバは大騒ぎをしてシオンに叱られた。

ある日のアルバの質問はこんなのだった。
「シオンは、どこから来たの?」
質問を聞いたとたんに、シオンの顔が固まった。

自分はまずいことを聞いてしまったようだと気が付いて、
質問を取りやめようとアルバが口を開いた時、あっさりと答えが出た。
「城です」
「シロ?」
「王様が住んでいる所ですよ」
「……王様って?」
「王様は、なんでも決められる権利を持っていて、
 それで、みんなの事を守ろうとする人のことですよ」
分かったような、分からないような回答だった。
でもシオンが黙ってしまったので、アルバはそれ以上聞くことができなかった。

「王様って、神様みたいだね」
「神様、ですか……。そうですね」

「死にたい」
と、シオンはまた小さく言った。

アルバに聞かせるために言ったものでは無いことを、アルバはすでに知っていた。
呪文のように、あるいは自分に言い聞かせるように。
シオンがこの島に来てから、
すでに両の手で数えきれないぐらいはこの言葉を言っていた。

それはふとした時だった。
朝起きた時でも、
朝ごはんを食べ終わった時でも、
洗濯物を干している時でも、
散歩をしている時でも、
お昼ご飯を作っている時でも、
昼寝からふと目が醒めてしまった時でも、
夕暮れ時でも、
ただただなんでシオンがそんな風に思ったのかアルバにはわからない時に、
一言呟くのだ。

それがどうしようもなく、
アルバの心にささくれのように刺さったまま抜けないでいる。

「シオン」
名前を呼ばれるとシオンはわずかに怯えた様子を見せる。
それも、先ほどの言葉と共に最初から変わらない。
アルバの心を痛める一因となって、ずっと。
島の生活にはもう慣れてきた時期なのに。

「シオン、死にたい、なんて、言わないでよ」
初めてアルバはその思いを口に出した。
「聞こえてましたか……? すみません。でも、気にしないでください」
諦めてしまっているような顔をして、シオンはそう言った。

「そんな訳には行かないよ! ねえ、だって、シオンはっ……!」
「でも、死にたいんです」
アルバに向かって言うのは、これで二回目。
初めて会った時と、今日で。

アルバは泣きたいと思った。
シオンの顔を見ていては泣き出してしまいそうだった。
外に出て、先ほど言いかけた言葉を口に出した。
「だって、シオンは、僕の大事な人にもうなっているんだよ」
失いたくない。
でも、きっと、この言葉は今言ったとしても、
シオンにとっては何の意味も持たない。
だから、黙った。

家に戻ったアルバは気を紛らわせるためにシオンに新たな質問をした。
「何がいい、夜ご飯?」
エプロンをしながら、なるべくシオンの顔が目に入らないようにして。
「なんでもいいです。
 あなたが作るものなら、今まで美味しくなかったこと、ないですから」
今のタイミングでそれを言うのは反則だ。
アルバはその場でうずくまった。
ああ、なんてひどい人だろう。
心の底からはそんなこと思えていない自分自身を詰りながら。

一見目立った事件のない、シオンとアルバの、平和で幸せな共同生活は続いていた。


――◆――◆――


焦げ臭いと思ってアルバは目を覚ました。
室温が上昇していることに気が付いたアルバは、
扉の向こうから火のはぜる音がするのを聞いて、自身の部屋の窓から脱出した。

外に出ると家が火事になっている事はすぐに分かった。
家の外に既にいると思っていたシオンの姿が見つからずにアルバは慌てた。
火が噴き出してきそうな家に近づいて、隣の部屋の窓を力いっぱい叩く。
いま家の中に居たら煙に巻かれて死んでしまうと、アルバは慌てた。

「アルバっ! アルバッッ……!!」
何処かからか声が聞こえた。
「シオン、シオンっ!?」
声の聞こえる方にアルバが行くと、
木の棒を持ったシオンが火を噴く家に向かっていた。
降りかかってくるの粉を顧みず、
木の棒ただ一本でシオンは家への侵入を試みていた。

なかなか開かない扉にシオンはそのまま飛び付こうとした。
アルバは走ってシオンの腕を掴んだ。
「僕はここにいるから、シオン!」
体から急に力が抜けたようにその場にシオンはしゃがみこんだ。

「……え、あ、あ、よかった、よかったっ……」
シオンはアルバに縋り付いた。
「無事なんだな、本当に大丈夫だよなっ!」
シオンのいつもと違う様子にアルバは困惑した。
「アルバ、よかった、無事で……」
「大丈夫だよ、僕はここに居るから」
そう言って、シオンの背中をやさしく叩くと、シオンはアルバを強く抱きしめた。

「燃えちゃったねー……」
小屋は小一時間ほどかけて綺麗に焼失した。
先ほどからシオンは一言も発していなかった。
「あの丘の方に行こうか」
アルバが示した方に無言で二人で歩いた。
俯いていたシオンからは表情は読み取れず、
何と声をかけたものかアルバは分からないでいた。

草の上に寝転んで目を閉じたが、アルバは寝られないでいた。
火事の余韻が残っていて、まだ瞼の裏が熱いような気がして仕方が無かった。
「アルバさん、起きていますか……」
シオンは掠れた声でそう言った。
「手、繋いでいいですか……?」
「いい、よ」
とてつもなくその言葉をアルバは気恥ずかしく思った。

「話、していいですか」
シオンは、また静かにそう言った。
ぎゅっと握り返すことでアルバは肯定の意味をシオンに伝えた。

シオンは話し始めた。


――◆――◆――


「俺は、ここに来る前は、城と言うところで王様に仕えていました」

その国は一見平和でした。
でも、小さくて、弱くて、
自分たちの力だけでは自分たちの国を守りきることができていなかったんです。
仕方なく、他国に守ってもらうことになっていましたが、
それはいつでもその国乗っ取られてしまう可能性があるということでした。

俺の父は、城では一番強い兵士でした。
王様も父を信頼していて、二人は仲が良かったんです。
王様の娘――姫のお目付け役をその息子に任せるぐらいには。
姫を守ることを任されていた訳では無いんです。
でも、俺はそう言う意味に捉えて。
非常にまじめに、お城のお庭で遊ぶ姫のお目付け役をしていました。

そこにもう一人が現れました。
堅苦しく姫を守ろうとする俺を見て、大笑いしながら、
「それは一緒に遊んでやれってことなんだよ、シーたん」
なんて、言って。

その日から俺たちは三人でよく遊びました。
お城の中の子ども三人には広すぎる庭で。
その場所だけが俺たちにとっての「世界」でした。
俺たちはどうしようもなく子供だったんです。

そのまま時は流れました。
あくまで主従の関係ではありましたが、
三人はとても仲のいい友達のようでした。

そして、姫を守ろうと思った時から五年が経ちました。
俺と友人は、俺の父と同じように王様に仕える兵士になりました。
小さいころから訓練していただけあって、俺も友人も大変強かったです。
それこそ、本当に姫を守ることを任されるぐらいには。

三人で一緒に居られる時間は減りました。
兵士となったことで姫と過ごすばかりではいられなくなったのです。
それでも、わずかな時間を割いて三人は中庭で遊んでいました。

とっても、とっても平和でした。
俺が見ていた世界は。

一番強かったはずの父が死にました。
自分たちの国を守るために。

父は隣の国の戦争に参加して、命を落としたのでした。
俺たちのいた国は本当に小さくて、
隣の国に守ってもらうための代わりに父の命が奪われました。

守ってもらっているから仕方なく、何も関係が無いはずの、
ただただ隣の国が領土を増やすための戦争に手を貸すことになったのです。
沢山の兵士たちがその戦争に連れて行かれて、
俺の父と同様に命を奪われました。

一番強いと言われ、
王様からも信用されていた父が亡くなったということに、
俺はとても驚きました。
兵士になっていた俺は、他人の口からではなく自分の目で、
その一番強い父を知っていましたから。

驚いたと同時に、王様を少し恨みました。
父が死んだ原因を作ったのは王様でしたから。
王様もそれは本当はやりたくないことだったのだろうと思います。
それでも、そんなことはその時の俺にはわかりませんでした。

中庭で遊ぶ三人の関係は変わりませんでしたが、
それはあくまで見た目だけで。
姫に対して俺は少なからず反感を持っていました。

俺の父は姫の父に殺されたのに、姫の父はいまだに普通に暮らしている。
そのことを恨めしく思っていました。

でも兵士であるならばと、姫を守りたい思いも確かにありました。
友人はそんな俺にすぐ気が付いて、遠くに行くことを勧めました。
兵士を大量に失った国では、
城から遠くの土地を守る兵士が足りていませんでした。
望めば、いくらでも姫から離れることができました。

友人が取り計らってくれて、俺は姫から離れました。
遠くでも、姫を守っている事に変わりはないからと自分に言い訳をしました。
距離を置いた分だけ、関わりもなくなりました。

友人だけが変わらず俺の事を気にかけてくれて、
手紙をよく書いてよこしました。
返事を書くことはまずなかったのですが、
それからしか知ることができない城と言うのは、
父と姫との思い出がありすぎる、自分の知った場所では無いように思えました。

父との思い出の場所から離れたおかげで、父を思い出すことも減り、
姫への的外れな恨みも薄れました。

それを察したのか、友人の手紙には姫の様子も入るようになりました。
一緒にご飯を食べた、どこに行った、姫がこんなことをした。
二人の楽しそうな様子を手紙越しに知ると、
姫から逃げたにもかかわらず、
俺はまた元のように三人で遊びたいと思うようになりました。

「また、遊べたらいいな」
そんな風に書いた返事を初めて出したときには、城を出てから一年が過ぎていました。
友人からの手紙は五十通を超えていました。

まめに手紙を送ってくる友人から、その手紙に返信はありませんでした。
ただ、いつも通りに今日はこれをした、あれをした、
そんな内容の手紙が送られてくるだけでした。

その手紙も、段々送られて来なくなりました。
一週間ごとに送られてきたのが、二週間ごとになり、半月が経ち。
友人のそんな態度に腹が立ちました。
なんでだか、分かりませんでした。
それまでこちらに気を使ったことをしてくれていた友人が、
なぜそんなに冷たい態度になったのか。
それを確かめるためにも、
そして、友人に何かがあったのかもしれないと疑って俺は城に向かいました。

何かあってほしかったんです。友人に。
そうでなければ、俺はただ一年間送られ続けている手紙を無視したせいで、
友人に愛想を尽かされてしまったことになるんですから。
だから、きっとこちらからの手紙が届かなかったのだと、
そう言う風に信じたかったんです。

でも、城に近づくにつれて様子がおかしくなりました。
城に元居た兵士と知られると、門で追い返されて、
城のすぐ下に広がる街に入れてもらうことができませんでした。
かつて友人と、姫と、そして父と過ごした思い出の場所は、
近づくことすらできなくなっていました。

門番たちは、みんな俺が知らない人ばかりで、
話を聞くこともできませんでした。

しかしある日、見覚えのある人に会うことができました。
その人は友人からの手紙をいつも届けてくれていた人でした。
「なんでこんなところに、もしかして、もう知っているんですか」
その人は、ただの郵便屋さんでは無かったんです。
姫と友人が、俺に手紙を届けるためだけに出した、兵士でした。

「何を知っているって」
「……ここにいるということは、城に、街に入れなかったんですよね」
兵士は姫と友人に口止めをされている事を言ってから、話し始めました。

半年前に、クーデターがあったそうなんです。
クーデターって、簡単に言うと、国を奪い取ってしまうことです。

きっかけは王様が死んだことでした。
それは全くの事故だったんです。
ちょっと外に出かけたら、がけから転落して死んでしまったんです。
でも、それを不幸な事故だけにはしない人たちがいたんです。

姫は、国の一番上――王様になりました。
王様が死んでしまったので当たり前のことですが。
そして、姫を助けるはずの家来たちが、
自分たちの好きなようにし始めたんです。

家来たちは、元は隣の国にいたものたちでした。
俺が父を失った戦争のせいで、
空いてしまった大臣たちの席に代わりに入ってきたのです。
そのため、彼らは姫の国などどうでもいいと思っていたんです。
むしろ、まだ王様になるには若い姫が止められないのを知って、
国の中をめちゃくちゃにし始めました。
ちゃんと国として成り立っていたのに、
隣の国が国の中の事まで助けないとどうしようもないぐらいに。

そんな大混乱があったのを俺が知らなかったのは、
国の本当に外れの方にいたと言うのもありますが、
姫と友人が俺がその中に巻き込まれないように気を使っていたからでした。

姫が外に助けを求められないように、門が閉ざされました。
姫が助けを求めるものとして、俺の名前が挙げられていたそうです。
だから、友人から俺への手紙はそもそも届いているのがおかしかったんです。
しかし、友人が、手紙を出さなかった方が不審がってきっとこちらへ来ると、
そうクーデターを起こした側を説得したために、
友人からの一方的な文通は続けられていたんです。

心配させないように、そして禁止されていたこともあると思いますが、
その手紙はこちらがほっとするような本当に他愛も無いもので、
友人がどんな想いをしてそれを書いていたのかは考えたくもありません。

俺から友人への手紙が届かなかったことも、それで分かりました。
友人から俺へは、兵士が唯一認められた道で来ていたんです。
普通に手紙を出すだけでは友人への手紙は届きません。
それに、城に戻りたいととれるようなもの、
もし城までついてもクーデターしている側に無かったものにされていたでしょう。

そして話の中で、
三人で再び遊ぶということが、
もう実現不可能なことを俺は知りました。

「死んだ……?」
「……はい。つい先日、処刑されました」
友人が、死んだと、俺は人づてに知りました。
「これが、最後にあずかってきた手紙です」
差し出された手紙には、
いつも通りの幸せそうな城での日常が書かれていました。

最後まで、俺に心配をかけないようにしているその手紙を前にして、
俺は動けないでいました。
何度も手紙を読み返して、それ以上の事が書かれていないか探しました。
きっとなにか、言ってくれるはず。
何も残していないなんてないはず。

「ちょっと、それを貸してください」
兵士に言われるがままに手紙を渡すと、その封筒に彼はいきなりナイフを入れて、
綺麗に開いて、俺に内側を見せて。

そこには、文字が書いてあって。
友人が、静かに死にゆく姿と、
姫の事を任せたとただそれだけが書かれていた。
もっといろいろと、言いたい事があっていいのに。
姫を一緒に守ってくれないことをなじってくれればいいのに。
ただただ、これから姫を守ってほしいと書かれていたんだ。

「他には……っ!?」
「ないです、これだけです」
詰め寄ってもそれ以上出てくることは無く、
もう一つ、知りたくないことを知っただけだった。

「今日です、姫が処刑されるのは」
門の内側が少し騒がしいのはそのためだと答えてくる兵士の襟をつかんで、
俺はどうすることもできずに泣いた。

まだどうすればいいのか分からないうちに門の封鎖は溶けて、
もう元兵士は脅威とすら思われていないのかと、それすら情けなく思った。
三人で遊ぶどころか、あれ以来会えていないことに、
そして言葉を交わしていないことがすごく心につかえて。
どうして、姫の元を離れてしまったのか、自分で自分を責めた。

街で姫に仕えていたという女の人に会った。
「貴方が生きていて本当によかったと。
 貴方にだけは生きてほしいと、姫様はそうおっしゃって」
でも俺は、そうやって生きていることがつらかった。

何もできていないのに、何かをしようとした人たちよりも長く生きて。
そこには何の意味も無くて。
「残っている兵士たちの命の代わりに、姫様は自分の命を差し出されたんです」
そうやって、俺たちを本当に自分の命を懸けて姫は守ろうとしてくれたのだと知ると、
それだけで本当に自分がどうしてこうのうのうと生きていられるのか、
全く分からなくなった。

また俺は城から離れたんだ。
国自体は隣の国がそのままのっとって、
今までとは違ってもそのままでいられた部分も多かったものの、
俺が好きだったものはもう何一つそこには残っていなかった。

ただ、死ににいくだけの旅を始めたんだ。

知り合いのいる所から逃げて、
誰も俺の事を知らない所を目指して、ただひたすらに歩いて。
そうすればいつか、お腹がすいて死んでしまえると思って。
でも、倒れて、意識が無くなったと思ったら、次の時には人が覗き込んでいて。
手当されていた。
食べ物も分けてもらえて、死ぬことはできなかった。

飢えて死ぬのは無理だと知って、崖を見つけて飛び降りた。
すぐ下の木に引っ掛かって、二日後に近所の人に見つかって助けてもらった。
骨を折ることもなく、かすり傷だけで助かってしまった。

ただただ、友人と姫のことだけを考えて、
死のうとして失敗するたびに、場所を離れた。

首をつって死のうと思ったら、
お金を持っていなくて紐が手に入らなかった。
ナイフで手首を切ってしまおうと思ったのに、
拾ったナイフでは切れ味が悪くて傷がついただけだった。
野草やキノコの毒で死のうとしたら、
食べる直前に危ないと近くを通りがかった人に取り上げられてしまった。

何度も周りの人に助けられてしまった。
二人を守ることができなかった俺が。

行く当てが無かったから、前に進んだ。
やがて一番端まで行って、目の前には海があって。
そうか、溺れてしまえばいいのだと。
気が付いて、でも、泳いで行ける範囲では溺れ死んでしまうことはできなかった。
そこで船に拾ってもらった。

「兄ちゃん、向こうまで泳いでいこうたー、ちょっと無理さね」
陽気にそう言われて、でもその時俺が考えていたことは、
この船でもっと沖の方まで出たら、
そしたら飛び降りれば溺れる事ができるって。

少し無理を言って、船に乗せてもらって、ついて行った。
夜になって、分からないように船からそっと飛び降りた。

海の水は驚くほど冷たかった。
また助けられないために船からなるべく離れるように、すぐ泳いで。
息が苦しくなって、空気の代わりに水が入ってきて、
体が勝手にもがいて、生きようとした。
でも、もう船も離れてしまってどうしようもなくて、
やっとこれで死ねるんだと思って、目を閉じた。

でも、次に目を開けた時には、アルバがいた。
俺はまた、死ねなかった。

あの二人が死んでいるのに、何で俺が生きている。
何で俺が生きているのに、あの二人が死んでいる。

死にたい、死にたい。
死んでしまいたい。
ただそれだけを考えて、
国を離れてからそれだけを考えて生きていたのに、
もうどうやって死ねばいいのか分からなくなった」

シオンがアルバの手を強く握った。

「家が燃えて、外にはアルバがいなくて、
 そうやって自分以外の誰かをまた失ってしまうって思って、
 どうしても助けなくちゃって。
 また、会えなくなる前に」

シオンは泣いていた。
アルバは手を握られていてシオンの涙をぬぐうことができなかった。

「あの二人に会いたい。
 あの二人に会って、ちゃんと仲直りしたい。
 なのに、もう二人はこの世界にはいなくて。
 何度か、本当は嘘なんじゃないかって期待もして、失望して。
 毎日生きているたびに、二人がいないことに絶望して。
 だから俺は、死にたいって、毎日思っているんだ」

シオンが微笑んで目を細めた。
その目尻から、また一粒の涙がこぼれる。

「でも、俺が死のうとしても助けられる。
それに、俺自身も自分を助けようとしてしまう。
気が付いているんだ。
人に助けられてしまうだけじゃなくて、
自分自身死にたくないって動いてしまっていることに。

飢えて死ぬのだって、人が居ない所で倒れればいい。
それこそ穴にでも埋まればよかったんだ。
頭から飛び降りれば、死ねたんだ。
毒草だって調べればよかったし、
ナイフだって紐だって、死ぬんだったら盗めばいい。
そんな風に分かっていても、そんな風にしなかったんだ。
そのことに気が付くたびに、
あの二人が死んでいるのに生きようとしている自分がまた許せなくて。

さっきの家の火事でも、あのまま焼け死ねばよかったのに家から出て。
俺はもう、俺だけじゃどうしようもなく死ねないんだ。

死にたいんだ。死にたいんだよ。
そんな、死にたいって言う気持ちはまったく変わらないのに。
だから、だから、どうか、俺を殺してくれ」

アルバはもう、何が痛いのか分からなかった。
強く強く握られた手なのか、
それともシオンがアルバに向けて話している言葉の一つ一つなのか。

見たことのないナイフがアルバに渡された。
「友人の形見だって、お城に一回戻った時に渡されたんだ。
処刑って言っても、自害でだったんだ。
抵抗すれば首が落されてしまう状況で、自分で腹をその刃で切って死んだ。
どうか、同じように殺してくれ」

シオンはアルバの手にナイフを握らせた。
落さないように自分の手でしっかりと押さえて。
「でも、」
反論しようとした口を、シオンは封じた。
「これが、お別れのキスだ」

ナイフの刃がこちらを向くようにして、シオンはアルバに微笑みかけた。
細められた目から涙が落ちる。
手放したくても手から離れてくれないナイフとシオンのその表情を見て、
アルバは手にそっと力を込めた。

シオンは自分で自分に向かってナイフを振り下ろした。
アルバはそれに逆らわなかった。
「ありがとう」
ナイフがシオンの脇腹につきたてられるとき、
シオンは微笑んだままアルバにそう言った。

「――――ッッ……!!」
痛みに顔をゆがめて、シオンは声にならない悲鳴をこらえていた。
きつく目をつぶって、その目にはもうアルバは写っていなかった。

「シオン。シオン、シオン……!」
ナイフを放り投げて、アルバは苦しみ悶えるシオンの頭を撫でた。
腹の傷からはじくじくと血が流れ出て、赤黒い染みを地面に作り出していた。
吸収されなかった血が水たまりのようなものになりはじめていた。

「ア、ルバ。アルバ、アルバ。泣かないで、くれ、って。
アルバなら、きっと、殺してくれるって、思っていたんだ。
あり、がとう。
最後だったけど、アルバと、いた時は、少しだけ救われた。
死に行く旅の中で、唯一、楽しいと思えた、時間だった。
ありがとう」
「……シオン」

アルバの目は、歪んでぼやけて、
シオンの姿がちゃんとうつされていなかった。
「さようなら、アルバ。どうか、幸せに……」
まだひどく痛いだろうに、微笑みを浮かべてシオンは目を閉じた。

投げ出された手は痛みのためか固く握られていた。
痛みのためか、指先は冷たくなりはじめていた。
シオンの胸の鼓動が少しずつ弱まっているように思えた。

アルバは静かに泣いていた。
涙がこぼれてシオンの傷口に染み込んでいく。
しかし布地はすでに赤色に染まっており、
アルバの涙にぬれてもその色を変えることは無かった。

ただ静かに、アルバは泣いていた。
その島でただ一人、静かにアルバは泣いていた。


――◆――◆――


ここは、どこだろう。
シオンが次に目を覚ました時、目の前に広がっていたのは青い空だった。
もしかしたら天国かもしれない。
しかし、どうにも見覚えがある。
そして、シオンの目の前にはアルバがいた。

「アルバ……?」
「シオン、また会ったね、よかった」
アルバはそう言って静かに笑った。

なんで、俺は死んだはずなのに。
シオンが咄嗟に自分の脇腹を触ると、しかしそこには傷跡は無かった。
いつも通りの服、そして痛みも綺麗に消えている。

「どういうことだって、顔しているね、シオン。
ごめんね、僕ずっと、シオンのことを騙していたんだ」
アルバは涙をぬぐった事が分かる赤い目元をしていた。
「騙して……?」
「ごめん」
それからアルバが言ったことは、とてもシオンには信じられないことだった。

「シオン、僕はね、天使なんだ」
「……は?」
「ここは、天使の島って呼ばれている場所なんだよ。
聞いたことは無い?
人間たちの間で、死者にもう一度会える島として知られている場所。
って、知っていたらシオンは死のうとしないで普通に来ようとしたかな」
「アルバ……?」

「僕が天使だって分かってもらえるようなことは何もない。
この上の天に住んでいる子たちと違って、僕には翼が無いから。
でもね、僕は天使で、この死者に会える最後の場所を守っているんだ」
シオン、シオン、そう無邪気にシオンの事を呼んでいたアルバの面影は、
どこかに行ってしまったようだった。

「はじめてシオンがここに来た時、僕はすごくびっくりした。
だってシオン、死んでいたんだもの」
「……は?」
「ここはね、どうしても死者に会いたい人が一生懸命にたどり着こうとすると、
時々死者に招かれてきててしまうことがある、そんなところ。
だから、人の噂で、死者に会える場所って言われているんだ。
でもそれは本当に偶然で、そもそもは死んだ人が天に上る前に一度立ち寄る場所」
シオンは自分の耳に流れ込んできているアルバの言葉の意味を計りかねていた。

「でも、シオンは、溺れ死んだから、死者になってここに来た。
それは分かったのに、あまりにも生きている人みたいで。
ちゃんと死んでいるんだよ? 神様が、そう言っていた。
なのに、シオンは生きている人みたいに息をして、
そして、不思議なことに死にたいって言うんだ、もう一回死んでいるのに。
なんで、死んでまで死ぬことを願わなくちゃいけないんだろう。
本当は僕は、この島に来た人たちにあまり関わっちゃいけない。
だけど、生きている人が来た時は、
様にその人たちが見つからないように色々とやっている。
だから最初シオンが来たときにも、声をかけたんだけど、ちゃんと死んでいた。
だから、それが分かった時に、
本当は僕はシオンの前からいなくならなくちゃいけなかった。
でも、死んでまで死にたいと言う理由を知りたくて、
なんでそんなことをシオンが言わなくちゃいけなくなったのかを分かりたくて、
そうやってそばにいたら、どうしてもシオンから離れられなくなった。
でも、シオンは死にたいって言うだろ。
僕は、どうしていいか分からなかった」

アルバの長い告白を、シオンは何も言わずに聞いていた。
正しいことを理解できているか、シオンには分からなかった。
それでも、アルバの告白は、重くシオンの心に響いて、
そして、アルバが伝えたい思いだけはシオンに正しく伝わるのだ。

「ごめんね、シオン。今まで嘘ついてきて。
ねえシオン。僕はシオンのことが大好きだよ。
ねえシオン。シオンが望むなら、シオンを殺してしまおうと思った。
死んでしまったシオンが、もう一回死ねるか分からなかったけど、
でもシオンの気がそれで済むならと思った。
でもね、シオン。
僕は、シオンのことが大好きで、シオンがいないときなんて、
そんなのは、僕はもう死んでいるのと一緒だった」
「アルバ」
シオンはただアルバの名前を呼ぶことしかできなかった。

「シオン、僕はね。シオンのことが大好きだよ。
シオンが来るまで僕は一人ぼっちだった。
この浮島で、静かに神様から言われたことだけ守って、
静かに静かに過ごしていたんだ。
僕があった人達は、大体その日の内には居なくなっちゃうんだ。
だから、シオンと過ごした日は、
シオンが過ごした長い長い時の中からしたら本当に短いかもしれないけど、
でもね、僕にとってはそれだけが今まで過ごしたどんな時間よりも長く思えたよ」

「アルバ、ごめん」
「シオンは、謝らなくていいんだよ。
シオン、シオンは幸せになって。
だって僕はこんなにもシオンから幸せをもらったんだから」
「アルバ、ごめん」
「僕こそごめん。ちゃんと笑ってシオンを送り出せたらよかったんだ。
でもね、僕はシオンといて少しだけわがままを覚えた。僕、人間みたいだろ?
シオンがここに来たのも僕のわがまま。
一回死んだ人がもう一回死ねたとして、
それではこの島に来られるか分からないから、
だから神様に頼んでシオンをここに連れてきてもらった」
「アルバ、ごめんな」
「だからシオンは謝らないでって」
そう言ったアルバの目からはぼとぼとと涙がこぼれた。

「シオン、僕はシオンが好きだ」
「俺はもう、周りの人を悲しませないようにって思ったのに」
「ねえ、シオン。僕悲しくないよ?
だって、シオンが幸せになれるんだから。
ちょっとさびしいけど、でも、僕はシオンのことが好きだから、だから悲しくはない」
シオンは、そう言うアルバを抱きしめた。

「アルバ、俺も、お前のことが好きだった。ちゃんとちゃんと、大好きだった。
死ぬ前に言ったけれども、あの二人を失ってから何もかも無くなってしまった俺にとって、
アルバと過ごした時間は久々に楽しいと思える時だったんだ。
アルバを置いて行ってしまうのは、ごめん、本当にごめん。
アルバのことを、俺は、何も考えられてなかった。いつだって、自分のことばかりで」

「シオン、いいよ、シオン」
「俺は、ちゃんと二人に会う。
それで幸せになるから、もう取り返しはつかないけど、でもアルバも幸せになってくれ。どうか」
シオンの指先から段々と力が抜けてきた。
「シオン、そろそろお別れの時間だね」
「どういう……?」
シオンが自身の指先を見ると、そこは仄かに光ってゆらゆら空間に溶けていっていた。

「シオン、幸せになって」
アルバはそう言って笑った。
「アルバも、幸せになってくれ」
キラキラとした光は指先から段々と上に上って行って、
もう既にアルバを抱きしめる事が出来なくなっていた。

「シオン、ちょっと、離して」
「なんで」
まだ抱きとめようとするシオンをアルバは無理やり離した。
どうしてと疑問を今にも口にしそうなシオンの頬を両手で挟んで、
アルバは唇に唇を重ねた。

「昔、見たことがあるんだ。
 親しい二人はこうするんでしょ?」
アルバは満足そうに笑った。
「アルバ、もう一回」
シオンに促されて、
不思議そうな顔をしながら言われたとおりにアルバはもう一度唇を重ねた。
しかし今度は、アルバの唇を割ってシオンの舌が入った。

「んっ!?」
驚いて身を離したアルバを捕えておく腕を、もうシオンは持ち合わせていなかった。
「アルバ、もっと親しい人はこうするんだ」
「そう、なの?」
「ああ」
だから、もう一回。
シオンが言うと、アルバはその言葉に素直に従った。

それから、シオンが溶けて消えてしまうまでの間、二人は唇を重ねた。
とうとうシオンの顔すら溶けてしまってから、
アルバは欠片になったシオンに口づけた。
「好きだったよ、シオン。愛してる」

アルバはそのままシオンが最初にたどり着いた海岸にきた。
そして、その向こう側、遠く遠く続く空を見た。
この海に水は満ちていない。
あるのは水によく似た色をした青い空だ。
このはるか下に雲があって、そしてその下に人間の世界がある。

「シオンがいた場所、僕もいけたらいいな。
 きっとその頃には、僕はもう、僕でなくなるんだろうな」

そして、天使は、身を投げて死んだ。

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02/22
これを書きはじめてからほぼ一年経っての完結です。
そもそもツイッタータグで頂いた「アルバがシオンを殺す」と言う話でした。
結局両方死にますが……。
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