57.根底にあるのは


好きなんですよ。
そう言ってしまってはならないと思うのは、こんな風に呼び出されることがあるからだ。

あなたに迷惑をかけてはならないなら、触れる事が叶わないなら、ならばいっそ。
「…火影様、一つ頼みたい事が――」

――◆――◆――

「こんにちは」
俯いて歩いていたのにいつも通りにイルカは明るく声をかけてきた。
火影の部屋から出てきたところは見られていないだろうかと少し疑ったが、
角を曲がってからしばらく経っていたことを忘れていた。
「こんにちは、イルカ先生」
覆面の外にはその表情を出さないようにする。

「今日はこんな時間にどうしたんですか?」
「いや、ちょっとね」
「あ、すみません。そう言えば今日は受付に来てませんでしたね」
そんなことまで覚えていて貰えているのかと嬉しさがこみ上げる。

嬉しいと感じるようなこの気持ちを、俺はどうしたいのだろう。
ナルトに関して何度か衝突したこともあった。
しかもいくらこちらが正しかったとしても、強引に事を進めて行った。
そんなことがあったのに、今は、他人目からしても慕われて、笑顔で接してくれるのだ。
それは嬉しい。
そして俺は、もう少ししたらこの場所を失うかもしれない。

いや、そうしたのだ。
好きだとは言えないから。それは迷惑をかけることになる。
だからイルカから離れようと、考えずにいたいと、うっかり死にかけない任務を選んだ。
それでも本人を目の前にすると、一緒に居たいと思ってしまう。
その甘ったれた考えに自嘲気味に笑って、少し泣きそうに鼻の奥が痛くなるのをこらえた。
湿っぽいのは嫌いだ。

「最後になるかもしれないので、一つ言っておきたい事がありま
「さいご…?」
まるで、その言葉の意味が理解できない子供の様にイルカは反芻した。
「ええ。これから任務に出るんですよ。それも結構危ない」
その言葉にイルカは眉を寄せた。
心配してくれるんですか。

「今まで、ありがとうございました」
「やめて、くださいよ」
イルカは困ったような顔をした。
「いいえ、言えなくなってからでは遅いので」
「カカシさんに感謝されるようなこと、俺何もしてないですよ」
そんなことは無い。
もう、いてくれるだけでいいのだ。そうやって、笑ってくれているだけで。
「そんなことないです。本当に、ありがとうございました。それに、ナルトのことも宜しくお願いします」
「あ、はい…」
「ナルトに関しては、言わなくてもって感じですけどね」
少し笑ってみたが、イルカ先生は思ったよりも深刻な顔をしていた。

「気を付けて、くださいね」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってみたものの、次木の葉に戻る時に命があるのか。
はたまた体すら戻らないのかは分からないが。
イルカが心配してくれて、それに対して答えたことが守れないのは、嫌なことだ。

イルカが去った後、そっと体重を壁に預ける。
今更思う。帰りたいのだ。
生きて帰ることを諦めたくないのだ。
イルカから離れようと火影に掛け合ったのに、いざ決まるとなると今度は帰りたいと。
自分はどうしようというのだろう。

「さっきイルカとすれ違った」
「…アスマ」
「言わなくていいのか?」
アスマ相手にごまかしは利かないと分かっていてもワンクッション置きたくなる。
「何を?」
「とぼけんな、結局何一つ伝えてないんだろ」
俺と同じく壁に寄り掛かって、アスマはそう言った。
「別に、いいだろ」
「迷惑だとか、考えすぎだと思うけどな」
そんな風に簡単にアスマは言う。
ただ、俺にも過去があるのだ。彼にも、両親を殺されたとの過去があるように。

「何かがあってからじゃ、遅いんだーよ」
「何かだなんて、お前に何かがあるかもしれないだろ」
薄く笑って返す。
「死ぬかもしれなくても、イルカ先生に迷惑がかかるよりはいい」
「死ぬとか言うなよ」
「そうだね」
そんなことも言っていられないようなところにこれから行くのだ。
イルカの言葉と違って、アスマの言葉はとても生ぬるく感じる。
もう、どうしたらいいのか分からない。

「なんで、ですか…?」
不意にイルカ先生が姿を現した。
気が付かなかったなんて、忍びとして大失態だ。
「アスマ」
「なんだ?」
「気が付いてただろ」
「さあな」
そう言ってアスマは逃げてしまった。

「今の話を聞いていたら、まるでカカシさんが、あの、
 好きな人のために、その人に迷惑をかけないために、まるで死んでしまうような所に行くって」
「まるでじゃなくて、その通りですよ。
 それに好きな人だなんてぼかさなくても分かってるでしょ?」
イルカ先生。

「何で、何であんた俺にそう言うこと言わなかったんだ!」
「え?」
いきなり怒鳴られた。
「イルカ先生?」
「何で、死にかねない所にあなたが自分から行かなくちゃいけないんですか」
「迷惑をかけちゃいけないと思って」

「…迷惑?」
「そうです、愛する人を傷つけてはならないですから。
 でも俺は、あなたに恋をした。
 それに気が付いてもやめられないぐらいに、あなたに恋していることはあまりに心地よかった。
 でもただ一方的に見ているだけで幸せなのはすぐに終わってしまって、
 あなたに愛されたいと、あなたに好きと言いたいと、言わせたいと思うようになった。
 あなたに関わらないではいられなくなった」

「…迷惑なんて、もうとうにかけられてますよ。さっき自分でも言っていたじゃないですか」
「違う、そうじゃない、それだけじゃないんですよ。
 いつか必ず俺を恨む時が来る。
 そうなりたくない、それで傷つきたくないと思うぐらいに弱くなって。
 想っているだけでもいられなくなったのに、もう十分にかかわっているのに、
 踏み込んで傷つける前にあなたが逃げるのがそれでも怖くて、
 だから言わなかった。言いたくは無かったんだ」

「俺があなたを嫌いになるわけないでしょう」
イルカはそう言って柔らかく微笑んだ。
「カカシさん、だから死なないでください」
「…嘘だとしても、そう言われてはかないません」

「嘘だなんて言わないでください。
 俺はこんな下らない嘘を吐く人じゃないって、カカシさんには知ってもらっていると思っていたんですが、とんだ自惚れでしたね」
「もしかして、怒ってますか?」
「はい」
怖い目つきでイルカは睨んだ。
「俺の気持ちは無視ですか。あなたが傷ついて欲しくないという思いは無視ですか」

「俺のせいでそんなことになったら、俺は一体どうすればいいんですか。
 好きな人が、俺のせいで傷つくなんて、それこそ迷惑です」
「イルカ先生…?」
「そうですよ、俺はあんたのことが好きですよ。だから、死なないでください。
 何であんたが死ななくちゃいけないんですか。なんで好きな人を俺のために失わなくちゃいけないんですか」
「イルカ先生、俺が言っているのはそんな事じゃなくて」
「なんでですか。何が違うんですか」

俺は、失ったものが多すぎるから。
ここまで来るのに、捨ててきたものが多すぎるから。
それがいつかあなたにまで、害を及ぼすのかもしれない。
それがあなたにとって迷惑になると言っているのに。
「俺があなたを好きと言うことじゃ、解決できないんですか。
 だから、死なないでください。死んでもいいなんて、思わないでください。
 帰ってきてください、必ず、ここまで」

そう言ったイルカはかっこよかった。
「ずるいです、かっこつけちゃって。まだ俺は何一つあなたに伝えてないのに」
目の前のイルカを抱きしめた。
大丈夫、周りに誰もいないのは確認したから。
「だから、必ず帰ってきます。あなたにちゃんと伝えるために」

「迷惑ですか?」
「そんなわけ、ないじゃないですか…」
背中に回されたイルカの腕に力が入れられたのが分かった。
「じゃあ、待っていてください。必ず」
「はい」
迷惑じゃないとあなたが蹴散らしてくれるから、俺は帰ってきますあなたの元に。

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