留仙留

思はざる者に分からぬ故は

※留三郎の女装ネタ


 女装の補習を言い渡されたのは、昨日の実習の時だった。学年が上がるにつれて補習などに引っ掛かることは減り、最近はめっきりと聞いていなかった言葉に肩を落とす。
 ため息までつくと、伊作に心配された。
「それにしても本当に苦手なんだね。留三郎が補習に引っ掛かるなんて」
「俺だけじゃないだろう、文次郎のやつだって引っ掛かっていた……」
「どっちもどっちだと僕は思うけどね」
「何!?」
 余計な一言に思わず気色ばむが、伊作はどこ吹く風だ。時々こんな風に一言多いのは、わざとなのだろうか。
 簡単に及第点を貰った伊作の女装は、確かに女子に見える風体をしている。何がそんなに己と違うのか。見比べて溜め息をつくと、女装を解きはじめた伊作にこうも言われた。
「仙蔵にでも聞いてみたらいいじゃないか。コツとか」
「あいつは、駄目だろう。そもそも教えてくれるような奴じゃない。何より、元が綺麗だろうに」
 体の肉付きは鍛練によってそのままでは男にしか見えないが、着物と所作で隠してしまう技量がある。何より、顎が細くて色が白く目が大きいあの調った顔が目を引く。
「そうかなぁ。頼んでみればいいのに。あ、僕お昼に委員会があるから先に行くね。留三郎も早くしないと席がなくなるよ」
 ささっと変装道具の片付けを終わらせた伊作は部屋をでていってしまった。

 昨日から一人で悩んでいたが、それだけではどうしようもない。補習までは時間もなく、練習してなんとかしなければと思うが、鏡に向かっても一向に上達が見られない。
 どうしたものか。もう随分と長いことこうしているが、解決策が見つからない。できれば部屋に籠っているよりも、外で体を動かすようなことがしたい。だが、補習に落ちるわけにはいかず、これがどうしようもできなければ鍛錬に出ることもできないのだ。
 上手くなる気のしない女装の練習を始めてから何度目か分からないため息をついたとき、伊作が部屋に戻ってきた。
「伊作、」
 振り返って目があった瞬間、ぷっと吹き出された。そのまま腹を抱えて笑いだす。
「それは、それはないよ留三郎。この間より、ひどくなってるじゃないか! 何をどうしたら、そんな顔になるんだい?」
 この結構笑い上戸の同室は、笑い転げてこちらの様子が見えていないに違いない。
「いーさーくー?」
 ぴしりと青筋が立つのが自分で分かった。こちらをみた伊作の表情が固まる。
「ごめんよ、留三郎! 僕はこれを取りにきただけだから!」
 机の上のものを取り、じゃあねと言ってぴしゃりと鼻先で障子を閉じられた。
「おい、伊作!」
 障子を開けて伊作が去っていった方を見ても既に姿はなかった。
「うわぁ!」
 叫び声のあとに、どしゃりと大きなものが落ちたような鈍い音がする。だが、今日は助けてやらん。さっきさんざんっぱら笑ってくれた仕返しだ。
 とにかく、笑われずともひどいということは分かっている。一度やり直すべく部屋に戻ろうとしたら、目の前に仙蔵がいた。
「お、おう、仙蔵」
「ひどいな」
 出会い頭に強烈な一撃を食らった。
「それでは補習も受からないだろうに」
 続いて二撃目。勘弁してくれ、これでも伊作にあんなに笑われたのでショックを受けているところなのだ。
 そんなことを思っていると、仙蔵に手を取られた。
「ほう、着付けは完璧なんだな」
「そっちは練習すればできるからな……」
「一理あるな」
 文次郎も、着付け「だけ」はできるからな、と仙蔵が言う。
「こっちにこい」
 手を取られたまま部屋の外に引っ張り出される。
「は?」
 間抜けな声が出たが、仙蔵はまるで聞いていないようにしっかりと手を握って歩き出した。強く引かれるそれに混乱のまま抵抗することを忘れる。まあ、いいかと思って歩調を合わせるが、一体どこまで連れていくつもりなのか。と思えば、仙蔵はすぐに足を止めた。い組の部屋の前だった。そのまま部屋に入っていく仙蔵に引かれ、足を踏み入れる。
 い組の部屋に来ることは滅多にない。六年で集まるときなどはろ組のもとに行くのがほとんどで、そうでなければ天井裏や勝手にどこかほかの空き部屋を間借りする。それは、ろ組の部屋がい組とは組の真ん中にあるからということもあるが、うちの部屋は荷物が多くて六年が六人入るには手狭で、い組の部屋にならないのは、仙蔵が同じ六年と言えど寝屋に他人が入ることを嫌がるからだと思っていた。
 その意識があるからか、どうにも粗相をしてはいけないと思うと、自分のところと同じ大きさ、同じ構造の部屋なのに緊張する。
「そこに座っていろ」
 そう言って、仙蔵はどこかへ行ってしまった。文次郎もおらず、い組の部屋に一人で取り残される。
 大人しく腰をおろすが、落ち着かない。普段は着ることのない女物の着物を身に着けていることも原因の一端を担っているが、仙蔵が何を考えて連れてきたのかがわからないことと、普段は足を踏み入れることのない状況に混乱する。早く戻ってきてくれと思ったのが通じたのか、仙蔵は手桶を片手に存外すぐに戻ってきた。
「どうした?」
 落ち着かない様子を見て取った仙蔵に、不思議そうな顔をされる。落ち着かない原因を作っているのは仙蔵自身なのだが、本人はこの状況が少し、というよりも大分おかしいことに気が付いていないようだった。
「……それは、なんだ?」
 とりあえず話を前に進める。
「ああ、とっとと今の化粧を落としてしまえ」
 持ち帰ってきた手桶を目の前に置かれる。手桶の中には水が張ってあり、中には手拭いが揺らめいていた。仙蔵はと言えば、棚の中から箱を取り出して何かを並べ始める。
「ほら、やり直すんだろう?」
 状況についていけずに固まっていると、当たり前のようにそう言われる。箱の中から出てきているおびただしい数のこまごましたものはすべて、変装に使用している化粧道具だった。見たことない数の道具が文机に並ぶ。
 ということは、仙蔵が教えてくれるというのだろうか。素直に甘えるのは居心地が悪いが、なぜか仙蔵は端からそのつもりであるように粛々と準備が整えられる。
 伊作の言葉を思い出した。確かに仙蔵から手ほどきを受けるのが一番の近道だとは聞いた時に思ったが、それがいい思い付きには思えなかった。断られることしか想像できなかったからだ。それが何の気まぐれか、こちらから言い出したわけでもないのに始めようとしている。下手に理由などを聞いて再び気が変わる前に、大人しく教えてもらうのが最良の道に思えた。
 それなら早くやった方がいい。たっぷりを水を吸った手拭いを取り上げて、顔を拭い、姿勢をただした。
「こっちだ」
 仙蔵に手招きされて、文机の前に座る。
「これを持っていろ」
 手鏡を握らされて、顔の前に合わせるように指示される。
「まず、顔を洗った後によく水分をふき取る」
 新しい乾いた手拭いを取り出して、顔をぽんぽんとはたかれる。人に顔を触られるのは、あまり無いことで少しくすぐったかった。
「次に、白粉。お前はのせすぎだ。若い女子なら肌が少し明るくみえる程度でいい」
 そうして白粉を薄っすらと塗られる。一つ一つに一言ずつ解説をしながら、頬やら目元にも色を加えられる。
「紅の色は、そうだな……これなんか、いいだろう」
 そう言った仙蔵が手に取ったものは、いつも自分が使っているものより明るく、朱に近い色だった。
「少し、こっちを向いてくれないか?」
 素直に横を向くと、鏡を持つ手を下げられた。正面から仙蔵に覗き込まれる。よく紅と顔を見比べてから、仙蔵は皿に小指をつけた。紅が白く細い指に移る。
 その小指が、つっと唇をなぞっていった。
「うん、これぐらいが丁度いい。紅はあんなに濃くなくていい。いつも濃すぎるんだよ、留三郎の化粧は」
 真正面から再び仙蔵が見つめてくる。じっと見つめられ続けると、何となく恥ずかしくなって目をそらした。
 ぐいと顎をつかまれる。そのままくいと上に持ち上げられたり、横に動かしたりしながらじろじろ見られる。これは、自分が仕上げた作品の出来を確かめているだけなのだと分かるのだが、あまりにも顔が近くて照れる。
「よし、完璧だ」
 そう言って、仙蔵は口の端だけで笑った。
「見てみろ」
 すいと離れた仙蔵に促されて、再び鏡を目の前に持ってくる。
 今までに見たことがない顔が、鏡の向こうから見つめ返してきた。ぱちりと瞬きをすると、向こうも同じタイミングで瞬きをする。当たり前のそのことが不思議に思えるぐらい、向こう側にいるのが自分であることが信じられない。
「……かわいい」
「ほう、自分の顔に惚れたか?」
「ちがう!」
 思わず零れた言葉を揶揄って、仙蔵はからからと楽し気に笑った。
「元がいいから化粧が映えるんだ」
 そんなことを、目の前のよっぽど顔がいい男がしれっと言う。褒められて悪い気はしないが、いささか真っすぐに褒められると照れが勝る。
「ありがとう。綺麗な仙蔵からそう言われると、何だか照れるな」
「そうか」
 こちらはしれっと涼しい顔で受け流された。これでは却って恥ずかしいのはこちらではないか。
 普通に仙蔵は話を続ける。
「若い女子を装うときは化粧は薄めを心掛けたほうがいい。次からはこれを参考にしたら化け物にならないで済むだろう」
「ああ、ありがとう! 助かった。この顔なら、すぐにでも補習は合格できる」
 あとは自分でもう一度これをできればいいだけだ。
「そうだ、伊作にみせてやろう。さっき、人の顔を見て死ぬほど笑いやがったからな、あいつ……。仙蔵、本当に助かった。ありがとう」
 じゃあな、と言いさしたところで仙蔵の手が伸びてくいと顔を掴まれた。
「どうかしたか?」
「ああ、やっぱりお前には、その朱い色が一番よく似合う」
 私の見立ては間違っていなかったようだ、と仙蔵が満足そうに笑う。
「じゃあ、次も同じような色を使おう」
「持っていないんだろう? これはお前の方がよく似合っているから、やろう。持っていけ」
「いいのか? すまんな、何から何まで。ありがとう」
 するりと少しだけ仙蔵の指が顎を撫でて、離れていく。
「じゃあ、失礼する」
「ああ」
 立ち上がって、部屋を出ようと障子に手をかけた。ここまでしてもらったら、ついでにこれぐらいは頼んでも怒られないだろうか、という甘えた発想が頭をよぎる。いつもだったら否と言われる気しかしないのに、今なら是と言われるような気がした。
「なあ仙蔵、また、聞きに来てもいいか?」
「ああ、構わない。文次郎がいない時ならばいつでも」
 それはそうだ。文次郎とひと悶着あって化粧道具を滅茶苦茶になどしたら、そのときは仙蔵に木っ端微塵にされるどころでは済まないだろう。
「分かった。今日はありがとうな」
「お代は高くつくぞ」
「そうだな……。今度、考えておいてくれ」
「いいのか?」
 言い出したのは自分のはずなのに、仙蔵は少し意外そうな声を上げる。
 冗談のつもりだったのかもしれないが、それでもここまでしてもらっておいて何も返さないのはこちらとしても釈然としないところがある。何か代わりのものとして明確にやりとりしたほうが、分かりやすくていい。
「俺にできることなら、だが」
「……分かった、楽しみにしておくよ」
「おう」
 そうして、い組の部屋を後にした。

 保健室まではそう遠くもない。女装用の草履が手元になく、地面を歩けないために少し遠回りになるが、それでも道中誰かと会うこともなかった。それもそれで残念だ。今の姿を見て、武闘派用具委員長の食満留三郎だと思うものは、よもやいるまい。今朝までの残念な女装を知っているなら尚更だ。
 保健室の障子を開けると、やはり伊作はそこにいた。
「伊作!」
「留三郎、どうしたんだい?」
 振り返った伊作はこともなげに自分が食満留三郎であることを言い当てた。
「なぜ、分かったんだ?」
 少なからずショックを受けていると、簡単に答え合わせをされる。
「声、かな」
「あ、あらやだ……」
 ほほほ、と取り繕ったがもう遅かった。
「それにしても凄いね。仙蔵かな?」
「なぜ、分かるんだ……」
「だってさっきの今で、留三郎が自分の力だけでそこまで上達するわけないじゃないか。僕がさっき部屋から出ていったとき、反対から仙蔵が来るのも見えていたからね」
 これまたひどく簡単な答えだった。忍者の卵とは言え、この程度のことを言われなければ気が付かなかったなどとは、恥ずかしい。
「それにしても、綺麗だね」
 伊作は感嘆の息を漏らした。
「そうだろう?」
 さっきあれだけ笑ってきた相手が、素直に誉めてくるのを聞いて悪い気はしない。ますます仙蔵に感謝しなければ。
「仙蔵に聞いたの? あんなに嫌がっていたのに」
「嫌がっていたわけではないんだが……きっと頼んでも教えてくれないだろうと思っていただけだ」
「でも聞いたんじゃないのかい?」
「まあ、それがな、仙蔵が自分から教えてくれた」
「自分から?」
「不思議だろう? ただ、仙蔵が気まぐれを起こしてくれたお陰で、無事に補習は乗り切れそうだ」
「ふうん……」
 そう言って、伊作は黙ってしまう。
「仙蔵がね……」
「伊作?」
「今度の補習、受からなかったら怒られそうだね」
「おう、でもこれなら受かるだろう。似合いの色の紅も貰ったし」
――ああ、やっぱりお前には、その朱い色が一番よく似合う。そう言った、仙蔵の笑った顔をふと思い出した。
「ちょっと見せて」
 ひょいと手に持った紅を伊作が覗き込む。
「確かに、留三郎には、よく似合う色じゃないか」
「だろう? 仙蔵の見立ては間違いないな」
 自分が持っていた紅はもっと深く濃い赤色で、自分では決して手に取らなかった色だ。女子でもないのに、自分に似合う紅の色など分からないものだ。
「それにしても、何で、仙蔵は手解きをしてくれたんだろうなぁ」
「留三郎、それ、仙蔵に聞くのは駄目だからね」
「何でだ?」
「さあ、自分で気がつくべきことだからかな」
 まあ僕にも、多分そうしか分からないんだけど。伊作は小さく言った言葉に、俺は首を捻るだけだった。


――◆――◆――


 紅がついたままの小指で自分の唇をなぞると、同じ色に染まる。鏡に写った自分の姿をみて、少し笑った。
「やっぱりこれは、私には似合わない」
 伊作の名を呼びながら出ていった背中を思い出す。
 紅は先日女装の実習の際に、つい買ってしまったものだった。今日封をあけたことに、きっと気がついてはいないだろう。
 元から、綺麗な顔立ちをしていると思っていた。苦労人で女装があまりにも下手だから、周りで顔立ちが調っていると評しているのを聞いたことはこれまで無かった。
 本当のことを口にしただけだったが、分かりやすく狼狽えた。かの犬猿の仲に見られていたら、忍者たるものいついかなる時でも動揺してはならんと一喝されて喧嘩になりそうだ。
 あんなに誉められ慣れていなければ、今ごろ伊作にも綺麗と誉められて、顔を赤くしているのだろうか。
 去り際、私が冗談で口にした見返りを求める言葉を拾って、自分にできることならと、言い残していった。
「できることなら、な」
 私が欲しいのは、お前にできることで、お前にはできないことだから、決してそれを口にすることはないだろう。

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