土井きり

 きり丸は二年間ぐらい先生に告白し続けていた。

 三年生になったあたりから「そういう意味」で好きであることを気が付いていて、勇気を出して告げてみたはいいもののまったく相手にされないでいた。五年生になって十四歳を超えた。お城の殿様の子供だったりしたら、成人である元服の儀を上げる年齢まであと一つ。
 誕生日は学園で過ごしたがその年の夏休み、二人で家に帰ったときに先生はきり丸に尋ねた。

「今年の誕生日は何が欲しい?」

 夏休みの最初にそう聞くことがなんとなく二人の恒例行事になっていた。
 きり丸の誕生日は四月で、学校にいる間に過ぎてしまうから、きり丸だけに誕生日プレゼントを渡すためにはこうして長期休暇で家に帰ったときに聞くしかないからだ。

 いつもだったら「銭」と答えて土井先生に一発殴られてから、「じゃあ……」と不承不承別のものを考えて、それは対外ご飯であったのでその後一緒に食べに行くまでが恒例であった。しかしその年のきり丸の答えは違った。

「……先生、俺が好きなもの知ってるだろ」
「……銭か? もうちょっとましな答えは……」

 それはきり丸が何を言わんとしていたかを分かった上での先生の答えだったかもしれない。

「そうじゃあないよ。欲しいもの、知ってるだろ」

 先生を正面から見つめるきり丸の目は揺れていた。言葉に詰まった土井先生を見て、きり丸は目を伏した。こんな顔、本当は見たくないのに。

「ごめんなさい。もう言わない」

 そう言えば、先生はより深く傷ついたような目をする。全部分かっていてもやめられない。本当にお願いされたらどこまで許してくれるのか、分かっているからその弱みに付け込んでしまう。

「もし貰えるなら、先生に抱きしめられて寝たい。……ダメ?」

 そう迫れば、優しい先生が絶対にうなずいてくれることを確信してしおらしくおねだりをする。自分がやっていることが脅迫とそう性質が変わらないときり丸は思っていた。

 じゃあ寝るぞ、と声をかけられてきり丸と土井先生は同じ布団に入った。

 四半時ほど過ぎてもきり丸のところに睡魔は襲ってこなかった。むしろ目が冴えてしまってどうにも寝られそうにない。当たり前のことだった。その頃にはやっぱり頼まなきゃよかったときり丸は後悔しはじめていた。抱きしめられたまますやすやと、何も知らなかった昔のように眠れるわけがなかった。

 昔はこの腕に抱かれることで安心できたのに、今は心が休まらない。
 それと同時に違和感も覚えていた。先生の体にも、不自然に力が入っているような気がする。まるでまだ眠っていないかのように。

 瞼は落ちており、寝息は規則正しく、本当に眠っているように聞こえる。しかし当たり前なのだが先生は立派な忍者なのであって、狸寝入りぐらいはお手の物だろう。それなのに、体が強張っているように思うのは、どういうことだろうか。
 きり丸には考えても分からなかったので、考えることをやめて先生に声をかけた。

「……せんせ?」

 頑なに閉じられていた先生の目がぱちりと開いたのが見えた。暗闇ではその目の色まで見ることは叶わない。きり丸の声に応えるように、先生の腕が柔らかく背中をなでる。幼い時分には安らかな眠りにいざなってくれる温かな優しい動作であったのに、今では体が勝手に別の意味を読み取ろうとしてしまう。
 きり丸にとっては、好きな人の手が布一枚隔てて自らの体に触れるということであり、まずいと頭が訴えかけてきていた。

 きっとこの言葉を言ったら手が止まるということをきり丸は知っていた。それで手が止まってしまうという事実は、たまらなく淋しかった。淋しいけれども、仕方ない。

「土井先生。好きです」

 先生の手がぴたりと止まった。もしかしたらこのまま抱きしめてくれているこの腕もほどかれて体が離されてしまうのだろうか。きり丸がそう思ったとき、唇をふさがれていた。

 驚きのあまりに身動きが取れない。抱きしめられる力は弱まることがなく、その状況でそもそも身動きなどとりたくてもとれない。
 更に腕に力が込められて、体が引き離されるどころか引き寄せられる。唇が一度離れる。

 きり丸は何かが零れ落ちそうなほど目を大きく見開いて土井先生を見た。先生の目がうっすら開いたように見えた。唇が重なって、音を立てて角度が変わる。唇の先にぬるりとしたものが触れる。奥を求められているのだと分かって、きり丸は少しだけ口を開いた。舌が侵入してくると、音を立てて動く。ぞわりぞわりとした感覚が背中を這っていき、気持ちいいと思った。それなのに逃げ出したいような感覚は初めて出会うもので、抱きしめられている腕の中できり丸は先生の着物にぎゅっと縋り付いた。

 息が上がって潤む視界で先生を見る。

「あああああ、ついに手を出してしまった……」
 頭を抱えそうな勢いで深いため息とともにそう吐き出しながら、しかし体に回した腕はそのままで先生はうめいた。
「ダメだって分かっていたのになぁ……さすがに、この状況で、それを言うのは反則だろうきり丸……」

 文句のようでありながら、その実まったくきり丸を責めるものでも、ましてや叱るものではないことに気が付いていた。

「私も、好きだよきり丸」

 そう言われた瞬間、顔に一気に熱が集まるのを感じた。

「ずっと言われて、私がなんともないとでも思ったかい? そうやって装わないと平静を保っていられないと思ったんだが、お前はやすやすとそれを踏み越えてくる」

 そう言って先生はきり丸の肩口に頭をうずめてきた。照れ隠しなのか罪滅ぼしなのかまだしゃべり続けようとする土井先生をきり丸は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと、先生流さないで。もう、一回言ってください」
 聞き逃しはしない。あまりにもあっさりと言われてしまった言葉を、きり丸はもう一回とねだった。

「……好きだよ、きり丸。私もずっと前から好きだった」

 先生のその言葉に、きり丸は顔の赤色をさらに濃くした。

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