泣きたいよ


嫌なものを見てしまった。
いや、いつも通りの光景。

佐藤君が轟さんと話していて、顔を赤らめていた。
別にいつも通り。何一つ傷ついていないけれども。
やっぱり見ていて気分のいいことではないのは確かなんだ。

顔色変えるだなんて、轟さんは相当のことをやらかしたのだろう。
やめやめ。
やめた。
考えても分からないことを考えても意味が無い。
また、逃げる。

逃げて。
だからどうしようって言うんだろうね。
なんの解決にもなんないのに。

はやく消えてくれないかな。
でも、これが消えたら、一緒に感情を揺さぶられる幸せもなくなるのだろうな。
逆か。揺さぶられる辛さを味わわなくてもいいのか。
そんな簡単に、無くなったらの話。

まじめに仕事をしたらちょっとは気がまぎれるかと思った。
別の事を考えていると、確かに想わなくて済む。
でも、まじめに仕事をしたら佐藤君も近くに居るじゃないか。
迂闊だった。
キッチンが仕事場って、呪いたくなるね。

だからと言って逃げ出しても、また考えてしまう。
「そうまさーん!」
とびかかってくる山田さん。
ちょっとだけ、有り難い。
対応をしているとちょっとは考えなくて済む。
あまりにいつものこと過ぎて、ちょっとしか効力が無いのが悩みどころなのだけど。

「相馬さん、元気ないですか?」
「うーん、そんな事無いかな?」
「そうですか? 相馬さんに山田の元気を別けてあげます」
「山田さん、人の話を聞いて」
「山田に抱き着かれた人はみんなハッピー! だから山田の元気を別けてあげているのです」
話がかみ合っていない。
でも、理解力がある人って言うのも、伝わらないようにとか、変わらないようにとか考えすぎるから。
丁度いい。

「相馬さん、悩み事ありませんか?」
忘れてた。
山田さんは結構聡い。

全く、こんなに記憶力なかったっけ。
全く、こんなに頭の回転悪かったっけ。
全く、最近はおかしい。
原因はもう、正せないけど。

「特にはないかなー?」
「そうですか」
山田さんはあっさりと引き下がった。
こういう時だけ優しさが染みるよ。
山田さんの頭をなでる。
普段だったら絶対にしないけど、山田さん嬉しそうだし、それにこれ以上何か言われたら泣きたくなる。
悩み事なんて言葉では済まされないほどに、考えて考えて考えて。

山田さんにはまだ早い。
口に出して言えるようなことでもない。
それに、人に話すなんて柄じゃない。
そんなことをする前に諦めると決めたのだから。

「相馬さん、」
「なに?」
「佐藤さんが来ました」
「来ましたじゃねーよ」

気が付かなかったのはあの煙草の咽るような香りがしなかったからか。
気配でも気が付けるようになったら相当重傷かもしれないけれど。
ああ、もう既にか。

「山田、小鳥遊が探してたぞ」
「じゃあ山田、しばらくここに隠れています!」
「早く行け」
「嫌です。山田、相馬さんにくっついています」
「おい山田、この間皿割ったこと、小鳥遊に言うぞ」
「分かりましたよ佐藤さん。仕方ないですね」
いーっと最後に佐藤君に言って、それから少し楽しそうに山田さんは笑ったような気がした。

「何が仕方無いだよ……」
呆れたように佐藤君は言った。
「まあまあ佐藤君、山田さんはいつものことだよ」
何に対してのフォローか分からない言葉を口に載せる。
いつからだろう、沈黙を重く感じるようになったのは。

「相馬お前もいい加減にいいようにされるなよ」
「山田さんの家族計画のこと? あれは山田さんなりのコミュニケーションの取り方だから」
「つけあがるぞ」
珍しい忠告。
「確かにそうだけど、振りきれないし」
「……そうか」
佐藤君は特にそれ以上言うことが無いようだった。

会話が途切れたから仕事をしよう。
いつからこんなに俺は仕事をする真面目な人になったっけな。
カチカチカチと言う音からボッとガスコンロに火が入った。
中華鍋が熱くなっていく。
さっき出してきたチャーハンを温める。

何でこんな時に限って仕事が少ないのかな。
ああそうか、久々に真面目に俺が仕事を消費してしまったからか。
と思うと、
そう言えば佐藤君は仕事をしていない。
音が無い。
どうしたのか。

鍋の中のものを無駄にするわけにはいかないから、注意は後ろに向けながらも、
チャーハンを焦がさないように温める。
お皿を出して、お玉で掬って、出したところに盛る。
綺麗な形になった。

やっぱり丁寧だからね。
…これは何の気休めにもならないや。

「チャーハン上がったよー」
カウンターに置くとすぐに入ってくる轟さん。
「ありがとう」
わざわざいう事無いのに。
何かなぁ、今は轟さんを見たくない気分だというのに。

腰に差している剣の音が遠ざかって、聞こえなくなったのを確認して、一呼吸ついてから後ろを振り返った。
そこには、さっきの場所から一歩たりとも動いていない佐藤君。
本当に今日はどうかしたのかな。

「佐藤君、どうしたの?」
「……」
目を伏せて、頬は赤みがかって。
手は両方とも調理台について体重を預けている。

赤く染める顔をみて、さっきの轟さんの事も合わせて、ああ嫌だなぁ。
これで完全に思い出してしまった。
考える事から逃げたはずなのに。
逃げて、忘れようとして、でもやっぱり引っかかる。

「佐藤君、ここちょっと任せたね」
感情が暴走しないうちに、また逃げなくちゃ。
今度はどこへ、まあどこでもいいや。
サボれるようなところは、いくつも思いつく。
伊達にいつも仕事していない訳じゃ無いんだよ。

厨房を抜けて、逃げ出そうとした時にわずかに引っ掛かり。
長袖の端を引っ張られたと気が付くのに頭の中で数秒。
それを引っ張った人物が佐藤君以外にありえないという事に気が付くまでに頭の中で数秒。

「なんで佐藤君がこんなことするわけ?」
ちょっとトゲが入ったな。
でも今の精神状況で、そんなかわいらしいことをする佐藤君が悪いんだ。
ごめんね、別にそんなこと思ってないから。
ちょっとだけ責任転嫁させて。

痛いからさ。
心が軋むからさ。
その手を離してよ。

「相馬……」
次の瞬間、佐藤君はあり得ないことをした。

「ッ!」
固くて、温かくて、なんでそんなものに包まれてる。
手首を掴まれたのは一瞬。
それに対して反応の声をあげる前に手首からバランスを崩して、背中側から。
なんで抱きしめられてるの。

「さ、とー、君?」
反応は無し。
何でよ、佐藤君どうしたの。

「…なん、で…どうか、した、の?」
反応は無し。
ねえ、佐藤君離してよ。

「さとーくん?」
ちょっと離して、何もないなら放して。離してよ。
少し藻掻いてみたけれども、預けられた体重はそのまま。
重く、のしかかってくる。

佐藤君の体温が、温かさが伝わってくる。
触れている部分が広くて大きくて、佐藤君の体温までこちらも上昇していくのが分かる。

「そう、ま……」
耳元で囁かれて、ゾワリと立つ鳥肌。
熱っぽくて、艶っぽい声が流れ込んできた。
ねえ、佐藤君。何がしたいの。

「佐藤君、ねえ佐藤君」
離してよ。

でも言葉にならなかった。
抱きしめられるなんて、もう二度とないから。
ありえないから。
どういった経緯でこんなふうに佐藤君がご乱心なのかは分からないけれども、少しだけ喜んでいた。

でも、辛い。
普段ならあり得ないんだから。
それが、痛い。

「ふぅ」

吐息が首にかかる。
熱い、自分の顔が染まったのが分かった。

「って、佐藤君本当に熱があるじゃないか!」
顔が赤くて、自分の体重を支えられないぐらい弱っていて、体温が高くて、吐息も熱っぽい。
「佐藤君大丈夫?」
言いながら俺は佐藤君を引き離しにかかっていた。
このままじゃ、おかしくなる。頭が壊れそうだ。

何で、さ。
何で轟さんや山田さんの前では平気な振りをしていたのに、ここにきて俺の前でふらつくのさ。
それに意味はない。
それだけ無理をしてきたからこそ、ここで辛くなっている訳だし、決して俺の前で弱みを見せてくれたわけではない。
痛いよ、佐藤君。

それでもさ。
何でこんな風に、全面の信頼を置いているように頼るのさ。
体重を預けたりして、あまつさえ抱きしめるような形で。
何でこんなことするの。

普段ならあり得ない。
特別な意味があってしていることではない。
それでも、期待みたいなものが頭を掠めて仕方が無い。

勘違いをしたいと頭が悲鳴を上げて。
でも、どこかで其れは勘違いなんだなんて冷静に教えてくれちゃってる自分がいて。
普段ならあり得ないんだぞって、でも信頼されているじゃないかって。
そんなこと佐藤君は考えていないよ。
って。
馬鹿みたい、勘違いして。

そんな風なせめぎ合いが頭の中であって。
ねえ、知ってる佐藤君。
痛いんだよ。
拷問のように。

それともご褒美?
佐藤君は俺の気持ちなんかとっくに知っていて、ついでだから抱き着いてくれたりするの?
もう分かるでしょ、こんなに考え方が支離滅裂。

「苦しいよ、佐藤君」
反応は、無し。

「佐藤君、苦しいから放して」
反応は無し。

「いい加減離してよ。さとーくん、ってば」
反応は、無し。

――いっそ、泣けたらいいのに

「すいませーん、次のオーダーです」
「あ、小鳥遊くん」

どうかしたんですか、相馬さん。
というか、佐藤さんは大丈夫ですか。
すごい熱じゃないですか。
風邪ですか、まずいですね。

結局振り払えなかった。
小鳥遊くんが来て、佐藤君の様子を見るために俺から剥がしてやっと、
自分が今まで息を止めていたことを知った。
少しずつ呼吸を取り戻す。気取られないように。

「相馬さん、そんなに苦しかったんですか」
「え、何が」
「だって、涙目ですよ」
これは笑える。
でも笑えなくて。
乾いた笑いと共に、そのまま零れ落ちそうだから。

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あとがき
抱きしめられて、ご褒美のつもり、なにこれ全然嬉しくない、拷問だよって涙目になる相馬さん。
このシリーズの中の相馬さんは、ドSだから容赦なくて、 ドMなんじゃないかって思えるほどにその矛先を自分に向けていますよね。
なんでだろ。
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