「ハッピーバースデイ!」
そう言われても嬉しいという感情より先に、苦しいという思いが先に来る。
苦い苦い思い出があるから、だからこの言葉を言われても楽しくない。
毎年、自分からしてもどうでもいい日だった。
自分が生まれた日だからって、自分の年齢がその次の日から一つ増えることも、
これと言った変化がいきなり訪れる訳でもなく、だから気にも留めない日だった。
それが、クレアがいたから。
そんな取り留めのなかったはずの日を、
わざわざ拾って、そして祝うのだ。
大切そうに。
こちらが捨てたものなのに、要らないと忘れたものなのに。
そうして毎年祝ってくれたのを思い出してしまうから。
だからハッピーバースデイの言葉は、苦い。
そして、自分の誕生日も、
そんなことを言葉と共に思い出してしまうから忘れられないだけの、
忘れてしまいたい日でしかない。
勇者さんの誕生日は、ちゃんとクリームたっぷりのケーキを顔に投げつけてやった。
前日に試作品まで作って完成させたものだった。
そんなこと一言も言わないで、いつも通りの嫌がらせのように投げつけた。
もしかしたら気まぐれを起こして、
ちょっとは素直に認める気になったとしたときの為に一切れだけ残して。
投げつける前の段階では、それは自分の胃にあとで納める筈のものだった。
それが、勇者さんは投げつけられ、顔に付いたケーキを指で掬って一口食べたのだ。
「おいしいね」
そんな感想まで言って。
「何で食べるんですか」
聞いた。
意味が解らないじゃないか。
普通に捨ててしまえばいい。
自身の顔面に投げつけられて、しかもそれは思いやりもないいつも通りの嫌がらせの様なのに。
既に形を損なって、とても食べ物には見えなくなってしまっているケーキの残骸なのに。
「勿体ないじゃないか」
勇者さんは言った。
「折角作ったのに。戦士が」
なんで。
「昨日何かしてるなと思って。覗いて、見ちゃったんだ」
ありがとうね、と嬉しそうに笑うのだ。
クリームだらけの顔をくしゃりと歪ませて。
「どれだけ自意識過剰なんですか」
なるべくあざけるような言葉を選んで。
「こっちが毒を入れているかも知れないのに」
そんな風に価値のあるもののように扱われたとき、
どうしたらいいのか分からなくなるから。
「…一切れ、冷蔵庫の中に入ってます」
自分から何かを伝えてしまっているようじゃないか。
ほとんど答えだ。
あれから二ヵ月ほど経った。
もちろん、この関係が何か変化した訳では無い。
自分の誕生日であること、そんなものは思い出さなくてもいい事なのに、
日付を見ただけで、
「おめでとうシーたん」
と笑ってくれた友の顔が浮かんでくる。
あれからは随分と遠くに来たものだなと思った。
勇者さんがその笑顔に被る。
守り“たかった”もの、守“れなかった”ものにさせはしないと誓った。
逃げ出したくなるような思いに苛まれながら。
表向きは、もう二度とあんなふうに誰かを失いたくはないから。
自分の前で、誰かを救えなかったなんてことに耐えられないから。
でも、それはもっと深く見れば、
ただ単純に自分が傷つきたくないだけだ。
心の底から、本当に嫌だ。
傷つかないためには傷つくような要因のものが無ければいい。
だから、「守りたいモノ」を作らなければいいのに、
いつの間にか、それは排除など決してできない物に変容していた。
勇者さんをあきらめるぐらいなら、
自分が傷つかなくてもいいかもしれない未来をあきらめる方を取ったのだ。
守るのだ。
守りたいと言う意志では無く、
決意としてその想いを持っておく。
――◆――◆――
「おめでとう、ロス!」
一瞬、呼吸が止まった。
呼吸どころか、心臓が止まったかとも思った程。
「ごめん、そんなに嫌だった? 名前で呼ばれるの…」
よほどすごい顔をしていたのか、そんな風に気を使われる。
「あ、いや、そうじゃなくて。何で、名前と、思って……」
何でこんなにも自分が動揺しているのか。
「だって、誕生日なのに、戦士だなんて変な風に思えて」
そうだ、俺はロスだ。
「おめでとう、シーたん」
日付を見るたびに、今日が何の日かを理解するたびに浮かんでくる顔。
でも、勇者さんとは違うと、いまそう思った。
浮かんでも、重ならない。
目の前にあるのはまぎれもない勇者さんの笑顔。
決して、忘れたわけでも、忘れられたわけでもない。
でも、
「ありがとう、ございます」
「うん、おめでとう」
そうやって目の前で嬉しそうな勇者さんを、抱きしめたいと思った。
腕を伸ばしてみて、気が付いた。
まだ何も、自分と勇者さんとの間には無いのだ。
力なく腕をもとの位置に戻すと、勇者さんは不思議そうな顔をした。
「僕に、何かしてほしいことがあったら言ってよ。
戦…ロスは今日、誕生日なんだから」
それは全ての免罪符のようにも聞こえた。
「抱きしめて、ください」
口に出すのは恥ずかしくて、目を閉じた。
伝わるような声で言った筈なのに何も起こらなくて、どうしたのだろうと目を開けると、
そこには恐る恐るこちらに腕を回そうとしている勇者さんがいた。
ああ、愛おしい。
こちらと同じように真っ赤に染まった顔を、こちらの胸元に押し付けて。
そうやって体を密着させている方が恥ずかしいと思う。
実際、もうちょっと離れてもらわないと心音がきっと聞こえてしまう。
力いっぱい抱きしめてくれるぬくもりも、友人と過ごした過去とは違う。
自分の腕を勇者さんの拘束から逃がすと、
何かいけないことをしたかと首をかしげてこちらを見てきた。
そうじゃない。
ただ、こちらからも腕をまわしたかっただけで。
何かを伝えて手に入れる確かな関係よりも何よりも、
今の方が、よっぽど強く繋がっているような気がした。
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- あとがき
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間に合って無いだとかそんな言葉は受け付けません。
ひと月以上振りで作業の半分ぐらい忘れていました。大丈夫でしょうか……。