必ずパーティーで流れる一番ポピュラーなワルツのレコードを蓄音機にかけた。
のんびりした曲ではあるが、心の内側のざわつきは日ごとに増してくる。
ここ数日ではほとんど吐き気に近くなって、当日の今日は殊更ひどい。
こちらを試すような目をしてみているリュイに、軽く膝を曲げて手を差し出した。
「一曲、お相手を」
リュイはドレスがあるべき空間をつまんで、お辞儀をした。
そうしておれの差し出した手に自分の手を重ねる。
「よろこんで」
にっこりとほほ笑んだ。
普段は見せないような顔までつくって。
役に入りきっていることだとは分かっていている。
それでもリュイの表情は完璧で、まるで本物のよう。
手に力が入った。
意識しないようにしていたのに。
こんな風にできるのが最後だと、思いたくはなかった。
ワルツはゆったりと進行しているのに、急きたてられているような心地だ。
たしなめるようにリュイは口を開いた。
「そんな風には教えていないですよ」
先ほどの笑みは消えていて、いつもどおりだ。
そっちのほうがいいと思ってしまう。
そんな顔をしていてくれるのなら、リュイの言葉など無視して腰に手をまわした。
すぐに非難の含まれた顔に微笑が張り付けられる。
リュイに引っ張られるようにして、ステップを踏む。
ターンをして、体を近づけて、離して。
「ほら笑って。そんな不機嫌な顔では、お相手に不快な思いをさせる」
近づいた一瞬、耳元で囁かれる。
はっとして目を合わせようとしたのに、次のステップの先を見ていてこちらを見てはくれない。
そうか、指摘してもらえるのか。
わざとつま先で蹴ったりぶつけたり。
リュイはひらりと避けるばかりで相手をしてくれない。
目を合わせてもくれないのにずるい。
この曲は幾度となく練習した。
最初はまったく動かなくて。
「本当に、成長しましたよね」 人を小馬鹿にしたようなリュイの話し方もあれから変わらない。
なつかしくて、たまらない。
「わざとそんなことができる余裕ができるようになるなんて、まったく思っていませんでした」
「そう、初めて会った時は」
「俺はお前のことが大嫌いだった」
「男相手にダンスなど踊れるかと文句を、それはそれは滝のように」
くすくすと笑って、肩が小さく震えている。
社交界にデビューさせたいのにあまりに踊れない俺を持て余して、家庭教師を付けてものの、
相手の女性の足にあざを作るばかりで、それを見かねて新しくつけられたのがリュイだった。
「口だけは一人前をあおるとむきになって、こちらがへとへとになるまで何時間も」
「けして踊るものかと思うほどに苦手だったんだよ」
それどころではなく人前で笑われたことがあってトラウマだったのだ。
「壊滅的なまでにセンスがなくて。しばらくは青あざだらけでした」
目をつぶったリュイに手をひかれる。
ここはターンだったか。
「でも、本当によく練習して。今ではすっかり」
「今では楽しくなったんだ」
リュイと踊ることが、苦痛でなくなったどころか楽しくなった。
これからそれは奪われて行ってしまうのに。
「それは、本望ですね」
今日初めて、目が合った。
燕尾服姿の二人が部屋の隅から隅まで自由につかったから、本番はまだなのにいい加減体が疲れてきた。
ピカピカの今日のために新調した服。
特に、うれしくもない。
リュイの履いている靴は、新品の服に不釣り合いな、ツヤもはげてボロボロになってしまったもの。
最後の音が消えていった。
「それでまあ、求婚して今日の流れは終了です」
すぐに放されてしまった手を、掴む。
手の平をこちらに向けるようにして、そこにかしずいた。
手の平へのキスは、求婚の証。
「なにも、そこまでしなくても…」
「好きでやってるんだよ」
手はひっこめられない。
「ずっとあなたが好きでした」
手の平にキスする寸前、
握り拳に変わってしまった。
「…今のことは、聞かなかったことにいたしましょう」
手は振りほどかれて、ほどなくしてリュイは部屋から出て行った。
そうしてすぐに迎えの者が来た。
父の退屈すぎる挨拶に始まったパーティーは、主賓らしく一番前にずっと座っていた。
不機嫌な顔をして。
どれが婚約者候補かはもう聞いていた。
何人かの中からダンスをして選ぶということを装って、初めから決められた人のところに求婚しに行く。
全て仕組まれている。
父がそろそろ踊れと目配せをしてくるが、そんなものは知った事では無い。
リュイが会場に現れるのを待っていた。
ドアを入ってきてすぐに父が手招きをする。
弟子の成果を師に見せようと特等席に招待しているらしい。
むしろ好都合だ。
婚約者候補は、求婚する相手は丁度目の前に来ていた。
はじめて席を立ったために、客がざわめく。
誰相手にダンスをするのかと皆の注意がこちらに向いた。
いきなり婚約者候補の目の前に行った。
手を取って、かしずく。
「私と結婚してくださいませんか」
手の平にキスを落とすと、客は驚きの声をあげた。
ダンスをすると聞かされていたのだろう、ざまぁみろ。
父の隣に並んでいるリュイの横をとおって、会場から姿を消す。
主賓が居なくなるだなんて、父は頭を抱えている事だろう。
俺の意思を確認せずに、すべてを決めてしまったのだ。
それが当たり前のことだとしても、それでも困ればいい。
すぐにリュイが後を追ってきた。
「なぜっ……!」
「理由はさっき言った」
リュイの歩みが止まった。
「俺はもう二度と踊らないぞ、リュイ」
ああなんと、俺は嫌な顔をしていることだろう。
そうして、リュイが困った顔をしてくれていることが、今は何よりも嬉しい何て。
だから俺はもう、リュイ以外とは踊るつもりが無いのだ。
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- 07/01
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手の平にキスが書きたかった話ですが、結局やっていないに等しいと言うか…。