居酒屋の扉をがらりとあけると、中には暖かい空気が詰まっていた。
冷えた体に丁度いい。
「何名様ですか?」
「もう来ていると思うんだが…」
名前を言うと、
「あ、奥のお座敷ですー。ご案内いたしますね。その前に、コートお預かりいたしましょうか?」
「よろしく」
脱ぐときに邪魔になる鞄を下におこうとすると、手が出された。
「お持ちいたしますー」
ただ単なる居酒屋だと思っていたが、アイツの選んだところ。
流石に趣味が良い。
「では、この奥になりますので」
しずしずと足音を立てずに去っていく店員。
足音を立てようものなら聞こえてくるぐらいの店内の静かさ。
ゆったりと耳障りにならないぐらいのBGMが心地いい。
「よう」
「あ、せんぱーい」
既に少し酒が入っている。
「先に飲むんじゃねーよ」
「だって遅いじゃないですか」
それは認める。
でも約束もしてないのにいきなり、今日平気?って言ったのは文句を言えないと思うが。
「久しぶりだな」
「そうですね」
暖色の照明のせいもあって頬が赤い。
そこからは、何気ない話をしながら酒をただただ飲んだ。
食事と言うよりも酒を飲みに来たような。
それはつまみも頼んだが、それだけでは決してお腹いっぱいにならないような。
今日、どうした? なんて。
素面では聞けそうになかった。
「そろそろ、行くか」
時刻は10時を少し回った頃。
うっかりすると終電になってしまいそうな時間。
「行くの?」
酔うと敬語が取れるのは変わらないらしい。
それが、あの頃を思い出させて。
今でも胸が痛いなんて、いささかセンチメンタルすぎるだろう。
「奥さん心配してるだろ」
「大丈夫。先輩と一緒って言ってるし」
「電車なくなるぞ。迎えに来てもらうわけにもいかないだろう」
えー、と言いながら本当に渋々と言った体で腰を上げた。
会計を済ませると同時に受け取るコート。
鞄は不安だから手元においていたが、奴は一緒に大きな包みを受け取っていた。
ピンク色のハートがちりばめられている袋の口を真っ赤なリボンでくくっている何ともファンシーなものだ。
「それ、どうしたんだ?」
「ああコレ? 娘の誕生日で妻から頼まれたの」
「お前こんな所にいてよかったのかよ」
「いーの、いーの」
少し呂律のまわっていない口。
大丈夫かと心配になる。
こんな状態だったら言っても大丈夫か。
「娘の誕生日なんだって?」
「明日だけどね」
「実は今日はさ、」
俺の誕生日だったんだけどさ。
敢えて耳元でささやいた。
前は、以前は、お前が誰よりも楽しみにして、お前が誰よりも先に祝ってくれたのにな。
そうしたら拗ねたように言った。
「だから呼んだんだ。誕生日おめでとうって言おうと思って」
何て可愛いことをしてくれる。
抱きしめようとするとしかし、ぬいぐるみを盾にしてそれを拒んだ。
「先輩はずるいです」
まだ酔っているのに。
素面のように俺を先輩と呼んで。
酔っぱらっていていいじゃないか。
「俺は、あきらめようとしたのに。あなたに言われたから結婚までして、今は娘までいて」
「…お前は、結婚したくなかったのか?」
「愛していますよ、もちろん、妻の事を。でも、好きなのは先輩、あなたなんです。
愛しているけど妻の事は好きではないんです。愛しいのは確かです、でもそれは好きではないんです」
「じゃあなんで、今日は俺を呼んだんだ」
こういう事をしてもいいと言っているようなものじゃないか。
あごを掴んで引き寄せる。身じろぎひとつで唇がぶつかるような、吐息がかかる位置で囁く。
「嫌なら、言えよ…」
今度は抵抗しなかった。
「好きなんですよ、あなたの事。でも、先輩は、先輩は、俺の事を好きでいても攫ってはくれなかった。
突き放した。のに、俺はあなたの事が好きなんです」
泣いていた。
いくら物陰とは言え、路上で、大の大人がみっともなく。
「忘れちまえよ。酒で酔ってるんだから」
「そうします」
そんな時に目に入ったのはあのピンク色の包み。
「娘さんに、おめでとうって」
「あなたからだなんて、言いませんけどね」
それは結構なことだ。
まだ執着してるなんて。
認めたくはないけどそれはずっと変わらない。
「好きだって言ったら。そのぬいぐるみ捨ててお前はこっちに来るのか?」
「いいえ、行きません。俺には愛する妻がいますから」
「そうか」
じゃあな、なんて言って。
これでもカッコつけたつもりだ。
目が赤かったとしても、それは俺を酔っぱらわせた酒のせいなのだから。
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相変わらず心が痛い話が好きだな。ちょっとでも切なくなってくれれば幸いです。
サイト説明に結構甘々って書いちゃってるのにな。