あの人は不思議な格好をしている。
「こんにちは!」
「こんにちは」
そして、
「いいのですか? また来て」
「うん、大丈夫だよ。親はどこに行ったかなんて知らないんだから」
大人たちは、あの人に会う事を許さない。
見る事さえ、快く思ってないのは知っている。
「それはいけませんね。怒られてしまいますよ」
「大丈夫だよ、わかりっこないからさ」
あの人は町の向こうの、森に入る一歩手前。
最近できた、土の塊で建てられた変な――いやカッコいいお屋敷に住んでいる。
ひらひらした白い布が胸元から覗いて、上物の着物みたいな手触りの体にぴったりとした布が体を覆っている。
ぴかぴかと光る丸い小さなものは動くたびに反射をして、とっても綺麗だ。
袴みたいな、いやそれよりももっと細い布地が足首まですっぽりと覆っていて。
さらにつやつやした物が足を隠している。
白い足袋なんて履いているのを見たことが無い。
もしかしたら、東京に行ったら、こんな格好の人がたくさんいるのかもしれない。
いいな、カッコいいな。
綺麗な、綺麗な。
「本当に君は、これが好きですね」
そう言いながら不思議な着物をあの人は指差した。
「着て、みますか?」
「本当に!?」
遠慮もせずにはしゃいで嬉しそうにするのを見て、あの人は笑いかけた。
「これは?」
「シャツといいます」
ここに腕を通して。
言われたとおりにすると着物と違って布がぴったりと腕に沿って不思議な感覚だ。
「で、このボタンをこの穴に通すんです」
「ボタン?」
キラキラとしている小さな粒の名前を知った。
「ええ。次に、こちらを履いてください」
「細身袴!」
「これはズボンです。あらら、それでは前と後ろが逆ですよ。チャックが後ろに行ってしまってます。座りづらいでしょう」
そのあと“ベルト”を締めて、“ブーツ”を履いて“ベスト”を着て。
“リボン”と呼ばれる紐を蝶結びにした。
「ねえ、カッコいい?」
「ええ、そうですね」
幸せそうにあの人は笑った。
「写真でも撮りましょうか? 今日の記念に」
「写真?」
「はい。からくりを使ってあっという間に絵をかいてもらう事ですよ」
着替えた部屋とは別のところに通されて。
そこは壁紙とかが全て白でできている不思議なところだった。
ぽつりと置かれた長い足のついている箱。
その前に立たされた。
「いいですか、私がいいですよと言うまでなるべく動かないようにしてください」
「しゃべっても…?」
「ええ、駄目です。じゃあいきますよー」
それからの時間がひどく長く感じた。
箱であの人の顔は見えなかったけれども、あの人に見られていると分かって。
とても緊張した。
「そんなに縮こまらないでください」
「いや、でも」
「カッコいいですから、肩から力を抜いてください」
そう言われて、ますます体がこわばった。
「いいですよ、動いて」
ほっとして、自然に顔が笑んだ。
「今の方が良い表情をしていますよ」
笑ったあの人に、顔が赤いことを見破られていませんように。
「写真、できたらお届けしますね」
「でも、来たら――」
町人たちに後ろ指差される。
何度か見た。
だから、あまりあの人は町に来ない。
「君のためです。別にどうってことありませんよ。それに私は――」
あの町が好きですからね。
どうして、そんなことが言えるのだろう。
傷つくだけなのに。
「取りに来るよ、ここに!」
「それは――」
「絶対絶対来るから! いつごろに、来ればいいの?」
なんか湿っぽい話を聞いてしまって、次来た時にぎこちなくなりそうだったのが嫌だった。
言い訳が欲しかった。
「じゃあ、3日後に来てください」
「3日ね。分かったよ」
「大急ぎで仕上げますね」
「あ、忘れてた。お礼は何がいい?」
「お礼など、、、」
「だってお母さんに言われたよ。もらった恩は返しなさいって」
「じゃあ、いいですか?」
こちらが返事をする前に、あの人は身を屈めて。
抱きしめられた。気がついたら、抱きしめられていた。
「――少し、このままで」
段々と鼓動が早くなるのが分かった。
それが相手にも伝わりそうでそれにもまたひどく緊張した。
心臓の音がうるさい。
心地いい体温に、促されるように頬が熱くなる。
「あなたは、このままでいてください」
“あなた”という物言いに少しの違和感を覚えた。
でも、あの人は言い続ける。
「あなたは、このままでいてください。どうか、お願いですから。このままでいて欲しいんです」
縋るような言葉。
抱きしめ返そうとした時に、体が離れた。
もしかしたら伸ばした腕が見られたかもしれない。慌てて引っ込めた。
「すみません。少しだけ、体を貸して貰いました。それじゃ着替えましょうか」
微かに目元が光った気がした。
「じゃあまた3日後に」
「うん。またね!」
しかし家に帰ったら。
「あんたどこに行ってたの?」
「森の方に」
「森って、まさかお屋敷には行って無いだろうね?」
「うん」
「嘘おっしゃい。こんないい香り、どうして森に行ってきただけでするの?」
何も答えられなかった。
「これから一週間は罰当番ですからね」
「え、なんで!」
「当たり前でしょう。あの人のところには行くなって、何度も言ったのに」
それからきっちり一週間は家から出してもらえなかった。
隙を見て出て行こうとする度に捕まえられて、どうしようもなかった。
あの人との約束を破るのは心苦しかったが、それでもあの場所に行けばあの人はいるのだ。
――いた、筈だった。
「なんで…」
お屋敷はもぬけの殻だった。
土の塊を積み上げて作られた城はそのままに、中身はなにも無かった。
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『贈り物』に続きます。すみません。
時代は明治初期。まだ農村地帯が広がっていた関東地方のどこかの町です。現在は都会ぐらいの位置づけです。