フォルダーを破棄しますか?
Yes No
携帯の電源を落とす。
何度もつけたり消したりすると電池に負荷がかかるのは分かるのだが、とりあえずの逃避だ。
もう一度開けた時に見ないための。
一番高価なスーツに、よっぽどのことじゃないと締めない上品なネクタイ。
適当に済ませてしまうタイピンも、ダイアモンドがついている前の彼女から誕生日に貰ったものにした。
気合の入れ方からして、また見え方からしてまさに勝負服。
ワックスで決めた顔をぴしゃりと叩いて家を出た。
会場について真っ先に声をかけられる。
「まったく、なんだよ電源落としやがって」
「ああ、ワリィ」
悪いなんてこれっぽちも思っていないが。
悪友の言葉にそう返す。
「約束の時間に遅れているのに連絡も寄越さねーで。バックれたのかと心配したぞ」
「それは、本当に悪い」
携帯電話とにらめっこしていたら、電車を一本逃していた。
それで、20分の遅刻だ。
そもそもギリギリの電車だったこともあるが、田舎の電車舐めんじゃねぇ。
都市部でも30分に一本しか電車の走らない路線などいくらでもある。
「間に合わねぇかもしれないな」
「何にだ?」
「先に会う約束してたんじゃねーの? 本日の新郎様と、さ」
初耳だ。
「じゃあ弘明が勘違いしていたのかもな。さっきメールが来て」
携帯の画面には“まだ来てないって? 本当に?”と書いてあった。
「これ、お前が来てないってことを言ったら返信が直ぐ来てさ。慌ててるみたいだったから、てっきり約束したのかと」
初耳だ。本当に。
もしかしたら、今電源の切っているこの携帯を開いたらメールが来ているのかもしれない。
開くつもりはないが。
「で、弘明のところに行かなくていいのかよ」
確認するように聞いてくる。
「ああ」
「本当に?」
すぐに返事をすることはできなかった。
「……ああ」
「その間は何だよ。本当に、話さなくていいのか?」
二人きりで。
何の気なしの言葉だろうが、重く響く。
自分の中での決着をつけられずにここまで来たことを、知っての言葉だろうかと勘繰りたくなる。
「別に、そんな」
「まあ奴の新郎姿、先に拝んどけよ。友人特権だぞ」
野郎の恰好なんてとくに見たくないか、と豪快に悪友は“らしく”笑った。
先ほどの、何かを知っているような、分かっているような“らしくない”口ぶりをやめて。
「じゃあ、行ってきます」
何がじゃあなんだ。
自分でも突っ込みたくなったが、そこには何も触れず道のりまで教えてくれた悪友に感謝だ。
ノックをする。
仰々しくも。
「弘明?」
問うとすぐに返ってきた声。
「橋野? どうぞ」
のほほんとしていた、むしろだらしないぐらいの印象だった彼も、今日ばかりはちゃんとした格好をしていた。
白い燕尾服。キザに胸ポケットに刺された一輪の薔薇。
この分で行くと新婦の方は頭に薔薇を挿してあるのだろう。
「よかった、今日、来てくれたんだね。ありがとう」
俺の目を見ずに、弘明はそう言った。
「いやいや、そっちこそおめでとう」
「ありがとう」
ここで初めて、目が合った。
というよりも見つめ続けていたこちらの目を見つめ返したと言った方が正しい。
「奥さん――は早いか、花嫁さんとはどこで知り合ったんだ?」
「あー、大学生の時の同じ塾のアルバイトの人でさ」
そこでだよ。
と、報告のように淡々とした口調で。
「まあ、そんなことはどうでもいいけど」
俺がそう切り捨てると、弘明は
「橋野らしいね」
などと言って笑った。
少しだけ、声が震えていた。
「どうして、来てくれたの?」
はは、と小さく口の中だけで笑った。
どうしてって、それを俺に答えさせるのか。
弘明が来てくれと望んだからに決まってるのに。
「高校時代に仲良くつるんでいた奴から招待状貰って、特に用事もないのに行かないってことはむしろ考えづらいだろ」
「橋野、ありがとう」
知らないって幸せだよな。
だから言ってやった。
「お幸せに、弘明」
フォルダーを破棄しますか?
Yes No
決定ボタンを押すと確認が出てくる。
まだボタンを押すのを躊躇うだなんて。
本当に消去してよろしいですか?
(データは復元できません)
Yes No
勝手に傷つけてしまった相手に怯えられた。
ただそれだけなのに、こっちが勝手に傷ついて。
フォルダー内53件中23件処理完了…
画像フォルダはさすがに重い。
なかなかに終わらない。
ここでキャンセルを押せばまだ間に合うというのが少し悪質だ。
フォルダーを破棄しました。
そう言っても本当は機械の奥底にデータは残っている。
消せるわけなんてないんだ。本当には、何も。
目次へ戻る
- 10/22
-
破棄したつもりのデータでもパソコンとかばらして専用の機械とかでなんとかすると、元に戻ってしまうらしいですね。
警察とかの操作で役立つシステムのようですが、このパソコンにされたら暗黒歴史が出てきてもう恥ずか死ねる。