嫌な予感がした。
胸騒ぎと言うのか。
漠然としたもので全く実感が持てない。
そんな、嫌な予感がした。
だから早く家に帰りたかった。
何が問題で何が胸につっかえているのか、
それを明らかにするためにはとにかく家に帰るべきだとそう思った。
落ち着いて考えれば、正体不明の不安も解消できるのではと思ったから。
途中で気が付いたことが一つ。
空がやたらと紅かった。
それが焔の色だと気が付くまでに時間がかかった。
夕暮れに近い時間帯だったから、夕暮れかなと単純に解釈してしまったのだ。
あれほどまでに鮮やかな色をした空を見たのは初めてだった。
朱い朱い夕暮れの空に似た。
とっても紅い空。
あれは忘れようと思って忘れられるものでは無い。
家に帰ると――いいや、家には帰れなかったのだ。
帰るべき家こそが、空を紅く染めていたものだったのだから。
まともに声が出なかった。
何が起きたのか、声に出して、口にしてしまうとそれだけで認めたみたいで。
疑問でさえも口をついて出て来やしなかった。
そこにあったのはただただ事実。
その一点。
家が、燃えている。
何ともなく、どうしようもなく。
沢山の宝物と、思い出と共に、大切だった家が燃えていた。
家族は無事だろうか。
そんなことを考えてなどいられなかった。
言葉にならない声をあげた。
それが、ようやっと溢せた一言だった。
今でも、いや、今だからこそ。
夕暮れの空が嫌いだ。
思い出すとかではない。
そんな生易しいものでは無い。
夕暮れの、空が嫌いだ。
朱く染まった空は、見たくない。
そして今日は殊更、紅い空。
「だーれだ!」
声の時点でバレバレだ。
でも、空が見えなくてほっとした。
とてつもなく、心底安心した。
密着してくる体温とか、首筋にかかる生暖かさとか、もういっそのこと包み込んでくれる気配の温度とか。
なんでだろう。こんな時に来てくれるだなんて。
「えーちょっと、返事してよ。ねーえ」
それ、もう少し先にしていい。
だって今は、多分。声を出したら震えている。
それぐらい、今日は殊更、紅い空。
朱い訳では無くて、紅い空。
「ねえ、大丈夫?」
そうやって離れそうになった手を上から押さえつける。
ここに居て。
「大丈夫、だから。もう少しだけ、目を塞いでいて」
そのまま手を、退けないで。
「あー、そっかー。そうだよね」
今日は、また一段と、夕焼けがきれいだもんね。
誰に聞かせる訳でもないその言葉。
もしかしたら俺に聞かせているのかもしれない。
でも、心に染み入るようだった。
そうだよね。
夕焼けだもんね。
夕暮れだからね。
これは、朱いのだよね。
「もう、大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
それならよかった。
笑って、彼はそれが当たり前のことのように、手をつないだ。
「夕暮れって、逢魔が時って昔は言ってね。
現世って言われる――まあつまりはこの世と、あの世って言われる夜の世界と通じるこの世ならざる者が後退する時間で、
そのまま魔に引きずり込まれると考えられていた時間なんだよ」
なんだか急にぶっ飛んだ話で、いまいち呑み込めない。
「だからかな、小さい頃って、ううん。小さいころに限った事ではなくて、今でもなんだか夕方が不安になる。怖いんだ」
案に自分のことを言われているようで。
「別に、怖い訳じゃ無いぞ」
反論してみる。
「ああ、ごめん。でもさ、不思議なことじゃあないんだよ。だって、何かを失ってしまいそうな気分にならない」
「…」
肯定もしがたく。
「赤い色で包まれたら、何もかもわからなくなりそうだからね」
分かるようでわからない。
それでも、心地がいい。
先ほど感じた体温とかと同じく。
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
なんとなく。
もう少ししたら、この赤色に怯えなくなれそうな気がした。
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暗いです。相変わらず。
「燃えて」と打ったら「萌えて」となりました。殺伐とした文章が急に腑抜けたものになりました。